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北海道大学
 1  北海道大学  江口良友Wikipedia
江口 良友(えぐち よしとも、1921年(大正10年) - )は、日本の工学者・農学者・元軍人。農学博士(北海道大学)。専門は、微生物工学。北海道におけるバイオ研究の大家。特定非営利活動法人北海道バイオ産業振興協会顧問。静修短期大学元学長。北海道小樽市出身


横浜国立大学
 2  横浜国立大学  来栖良Wikipedia
来栖 良(くるす りょう、1919年1月8日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍技術少佐。


東京大学
 3  東京大学  岸本綾夫Wikipedia
岸本 綾夫(きしもと あやお、1879年6月27日 - 1946年11月28日)は、日本の陸軍軍人、東京市長。軍人としての最終階級は陸軍大将。
 4  東京大学  安田武雄Wikipedia
安田 武雄(やすだ たけお、1889年1月16日 - 1964年8月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
 5  東京大学  栗栖弘臣Wikipedia
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年(大正9年)2月27日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の内務省官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第12代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。
 6  東京大学  北野政次Wikipedia
北野 政次(きたの まさじ、1894年(明治27年)7月14日 - 1986年(昭和61年)5月17日)は日本の陸軍軍人。陸軍軍医中将。勲三等1926年 (大正15年) 東京大学医学博士。論文の題は 「チフス及パラチフス菌属の血清耐性に関する実験的研究」[1]。 東京帝国大学医学部を卒業後に陸軍に入隊し、731部隊の第二任部隊長。生体解剖、人体実験の推進者であった[2]
 7  東京大学  安田伊左衛門Wikipedia
安田 伊左衛門(やすだ いさえもん、安田 伊左衞門、1872年7月28日- 1958年5月18日)は日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍騎兵大尉。衆議院議員ののち貴族院議員、日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長。正五位勲三等旭日中綬章。
 8  東京大学  新庄健吉Wikipedia
新庄 健吉(しんじょう けんきち、明治30年(1897年)9月30日 - 昭和16年(1941年)12月5日)は、大日本帝国陸軍(以下陸軍という)の軍人。陸軍経理学校教官・支那派遣軍経理部員・企画院調査官等を歴任し、階級は陸軍主計大佐に至る。情報将校としてアメリカ合衆国の国力を詳細に調査し、戦争の見通しについて報告書を作るなど情報分析能力が注目された。
 9  東京大学  勝田主計Wikipedia
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人であった[1]。
 10  東京大学  住栄作Wikipedia
住 栄作(すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(元衆議院議員)、官僚。
 11  東京大学  奥田教久Wikipedia
奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - )は、昭和前期の陸軍軍人。戦後は科学ジャーナリスト、エンジニアとして活動した朝日新聞社論説委員。後に朝日カルチャーセンター社長。1939年、第一高等学校、1942年、東京帝国大学工学部卒。陸軍第三期航空技術候補生出身。カトリック教徒。
 12  東京大学  成瀬正二Wikipedia
成瀬 正二(なるせ せいじ、1893年12月26日 - 1960年4月13日)は、日本の工学者・海軍軍人である。
 13  東京大学  原乙未生Wikipedia
原 乙未生(はら とみお、1895年6月12日 - 1990年11月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。日本の戦車開発の黎明期に中心的役割を果たし「日本戦車の父」と呼ばれている。
 14  東京大学  徳川宗敬Wikipedia
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。
 15  東京大学  徳川慶光Wikipedia
德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。爵位は公爵。通称は有職読みの「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。
 16  東京大学  江崎岩吉Wikipedia
江崎 岩吉(えさき いわきち、1890年12月1日 - 1986年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍技術中将。
 17  東京大学  松田武Wikipedia
松田 武(まつだ たけし、1906年8月3日 - 1988年9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。


東京外国語大学
 18  東京外国語大学  秋草俊Wikipedia
秋草 俊(あきくさ しゅん、1894年(明治27年)4月6日 - 1949年(昭和24年)3月22日)は、昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍士官学校(26期)卒。陸軍中野学校校長(初代)を務めた。
 19  東京外国語大学  豊田貞次郎Wikipedia
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。海兵33期首席。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等旭日桐花大綬章。


一橋大学
 20  一橋大学  武井大助Wikipedia
武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月25日 - 1972年(昭和47年)3月30日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍主計中将。安田銀行・文化放送の元社長。1940年勲一等旭日大綬章受章。
 21  一橋大学  石光真清Wikipedia
石光 真清(眞清)(いしみつ まきよ、慶応4年8月30日(1868年)10月15日) - 昭和17年(1942年)5月15日)は、日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)、諜報活動家。明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した。
 22  一橋大学  植田謙吉Wikipedia
植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級[1]。
 23  一橋大学  倉澤清忠Wikipedia
倉澤 清忠(くらさわ きよただ、1917年 - 2003年10月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。東京都出身[1]。第一東京市立中学校(のちの東京都立九段高等学校)卒業[2]。


東京海洋大学
 24  東京海洋大学  三田一也Wikipedia
三田 一也(みた かずや)は船長。元海軍軍人(予備将校)。海上保安官。最終階級は、海軍では海軍中佐。海上保安庁では警備救難監(海上保安官の最高位)、海上保安庁次長。戦後、海上自衛隊復活を討議した「Y委員会」の主要メンバー。一貫して再軍備には反対の立場を取った。埼玉県羽生市出身。不動岡中学(後の埼玉県立不動岡高等学校卒業)。


京都大学
 25  京都大学  吉田之久Wikipedia
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。
 26  京都大学  山下耕作Wikipedia
山下 耕作(やました こうさく、1930年1月10日 - 1998年12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。愛称は同姓の軍人・山下奉文に因んで「将軍」。[1]両者に姻戚関係はない。


大阪外国語大学
 27  大阪外国語大学  松田武Wikipedia
松田 武(まつだ たけし、1906年8月3日 - 1988年9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。


大阪教育大学
 28  大阪教育大学  秋山好古Wikipedia
秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日(1859年2月9日)- 昭和5年(1930年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。幼名は信三郎。


神戸大学
 29  神戸大学  村上雄藏Wikipedia
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。


岡山大学
 30  岡山大学  三木忠直Wikipedia
三木 忠直(みき ただなお、1909年12月15日 - 2005年4月20日)は、日本の大日本帝国海軍軍人、航空機技術者、鉄道技術者。最終階級は海軍技術少佐。新幹線の開発者。


広島大学
 31  広島大学  大山梓Wikipedia
大山 梓(おおやま あずさ、1916年 - 1992年)は、日本の海軍軍人、研究者。軍人時代の階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫・大山柏の長男。


九州大学
 32  九州大学  榎本隆一郎Wikipedia
榎本 隆一郎(えのもと りゅういちろう、1894年2月8日 - 1987年2月7日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍中将。


高崎経済大学
 33  高崎経済大学  清水武明Wikipedia
清水 武明(しみず たけあき)は旧日本海軍の軍人。なお、高崎経済大学名誉教授の清水武明 (教育者)とは別人であり血縁関係もない。


東北学院大学
 34  東北学院大学  井上達三Wikipedia
井上 達三(いのうえ たつぞう、1877年(明治10年) - 1950年(昭和25年))は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。


関東学院大学
 35  関東学院大学  佐藤さとるWikipedia
佐藤 さとる(さとう さとる、1928年2月13日 - )は、日本の童話作家。本名の佐藤暁名義による作品もある。実業之日本社で編集者生活を送った後、作家となった。『コロボックル物語』シリーズをはじめとするファンタジー的作品で知られる。海軍軍人の父(ミッドウェイ海戦で戦死)と小学校教員の母を持ち、10歳まで神奈川県横須賀市で育ち横浜に転居、以後横浜を拠点として創作活動を行う。


青山学院大学
 36  青山学院大学  池田清Wikipedia
池田 清(いけだ きよし、1925年 - 2006年)は、日本海軍の軍人、政治学者。最終階級は海軍中尉。東北大学名誉教授。息子に、国際政治学者の池田明史がいる。


学習院大学
 37  学習院大学  谷干城Wikipedia
谷 干城(たに たてき / かんじょう、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 明治44年(1911年)5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。
 38  学習院大学  大鳥圭介Wikipedia
大鳥 圭介(おおとり けいすけ、天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、日本の西洋軍学者、幕臣、軍人、官僚、外交官。正二位勲一等男爵。家紋は鶴の丸。
 39  学習院大学  三浦梧楼Wikipedia
三浦 梧楼(梧樓)(みうら ごろう、弘化3年11月15日(1847年1月1日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の武士、軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。栄典は従一位勲一等子爵。号は観樹。
 40  学習院大学  乃木希典Wikipedia
乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 大正元年(1912年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。階級は陸軍大将。栄典は贈正二位・勲一等・功一級・伯爵。第10代学習院院長。家紋は「市松四つ目結い」。幼名は無人(なきと)で、その後、源三と名を改め、頼時とも称した[1]。 さらに後、文蔵、次いで希典と名を改めた。また、出雲源氏佐々木氏の子孫と称したことから源希典との署名もよく用いた[2]。号としては、静堂、秀顕、石樵及び石林子を用いた[1]。「乃木大将」または「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い[3]。
 41  学習院大学  大迫尚敏Wikipedia
大迫 尚敏(おおさこ なおはる、天保15年11月15日(1844年12月24日) - 昭和2年(1927年)9月20日)は、日本の武士・薩摩藩士、陸軍軍人、華族。学習院長、第7師団長等を務める。栄典は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。
 42  学習院大学  一戸兵衛Wikipedia
一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。官位は陸軍大将従二位勲一等功二級。
 43  学習院大学  野村吉三郎Wikipedia
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。
 44  学習院大学  山梨勝之進Wikipedia
山梨 勝之進(やまなし かつのしん、1877年(明治10年)7月26日 - 1967年(昭和42年)12月17日)は、日本の海軍の軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。


慶應義塾大学
 45  慶應義塾大学  松野頼三Wikipedia
松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12日 - 2006年(平成18年)5月10日)は、日本の政治家。軍人時代の最終階級は海軍主計少佐。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任した。
 46  慶應義塾大学  中牟田倉之助Wikipedia
中牟田 倉之助(なかむた くらのすけ、天保8年2月24日(1837年3月30日) - 大正5年(1916年)3月30日)は、日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。
 47  慶應義塾大学  日高壮之丞Wikipedia
日高 壮之丞(ひだか そうのじょう、嘉永元年3月23日(1848年4月26日) - 昭和7年(1932年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海軍大将勲一等功二級男爵。
 48  慶應義塾大学  鏑木誠Wikipedia
鏑木 誠(かぶらぎ まこと、1857年10月7日(安政4年8月20日) - 1919年(大正8年)4月9日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。海軍少将、従四位勲三等。
 49  慶應義塾大学  平山藤次郎Wikipedia
平山 藤次郎(ひらやま とうじろう、1851年(嘉永4年8月) - 1910年(明治43年)5月11日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。商船学校長。
 50  慶應義塾大学  小橋篤蔵Wikipedia
小橋 篤蔵(こはし あつぞう、1860年(万延元年) - 没年不詳)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。従四位勲三等旭日中綬章。
 51  慶應義塾大学  土屋光金Wikipedia
土屋 光金(つちや みつかね、1864年12月1日(元治元年11月3日) - 1925年3月20日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中将。貴族院議員、男爵。
 52  慶應義塾大学  永田泰次郎Wikipedia
永田 泰次郎(ながた やすじろう、1867年1月26日(慶応3年12月21日) - 1923年(大正12年)1月19日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲三等金鵄勲章。
 53  慶應義塾大学  浅岡満俊Wikipedia
浅岡 満俊(あさおか みつとし、1861年12月28日(文久元年11月27日) - 1936年(昭和11年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海軍造船中将。
 54  慶應義塾大学  大山梓Wikipedia
大山 梓(おおやま あずさ、1916年 - 1992年)は、日本の海軍軍人、研究者。軍人時代の階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫・大山柏の長男。
 55  慶應義塾大学  野村実Wikipedia
野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。
 56  慶應義塾大学  大河内輝剛Wikipedia
大河内 輝剛(おおこうち てるたけ、1855年1月16日(安政元年11月28日) - 1909年(明治42年)10月9日)は、日本の明治期の教育者、軍人、実業家、衆議院議員、歌舞伎座社長。勲六等。
 57  慶應義塾大学  畑英太郎Wikipedia
畑 英太郎(はた えいたろう、1872年8月28日(明治5年7月25日) - 1930年5月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
 58  慶應義塾大学  有馬良橘Wikipedia
有馬 良橘(ありま りょうきつ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 昭和19年(1944年)5月1日)は、日本の軍人。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。
 59  慶應義塾大学  上原良司Wikipedia
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。
 60  慶應義塾大学  河石達吾Wikipedia
河石 達吾(かわいし たつご、1911年(明治44年)12月10日 - 1945年(昭和20年)3月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人、最終階級は陸軍大尉。水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形銀メダリスト。慶應義塾大学法学部出身。
 61  慶應義塾大学  富永靖Wikipedia
冨永 恭次(富永 恭次、とみなが きょうじ、1892年(明治25年)1月2日 - 1960年(昭和35年)1月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
 62  慶應義塾大学  魚潭Wikipedia
魚 潭(オ・ダム、1881年5月7日 – 1943年7月5日)は、大韓帝国軍及び大日本帝国陸軍の軍人。日本統治時代の1940年に西川潭一(にしかわ・たんいち)と改名している[1]。
 63  慶應義塾大学  神辰太郎Wikipedia
神 辰太郎(じん たつたろう、弘化1年(1844年) - 大正14年(1925年))は、弘前藩士、海軍軍人。のちに機関長を歴任した。
 64  慶應義塾大学  宅島徳光Wikipedia
宅島 徳光(たくじま のりみつ、1921年 - 1945年4月9日)は、大日本帝国海軍の軍人、作詞家。海軍中尉。松島航空隊機長。


専修大学
 65  専修大学  齋藤実Wikipedia
斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は泉水(せんすい)。
 66  専修大学  崔栄喜Wikipedia
崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1月11日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。朝鮮戦争の指揮官であり、陸軍中将で陸軍参謀総長(第12代)を務めた。退役後は国会議員(第7代・第8代・第9代・第10代)、国防長官(第16代)、維新政友会院内総務などを歴任した。


中央大学
 67  中央大学  川北博Wikipedia
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - )は、公認会計士、税理士、会計学者(監査論)。学位は博士 (会計学)(中央大学・2000年)。不動産鑑定士。司法書士。「公認会計士川北・徳永事務所」代表、「宗和税理士法人」代表、日本公認会計士協会相談役。監査法人トーマツ会長、日本公認会計士協会会長、日本内部統制研究学会会長を歴任した。陸軍の軍人。娘婿は徳永信(公認会計士、税理士)。


東京理科大学
 68  東京理科大学  高木惣吉Wikipedia
高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人で最終階級は海軍少将。また東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。


東洋大学
 69  東洋大学  張都暎Wikipedia
張 都暎(チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。陸軍参謀総長、国家再建最高会議議長を務めた。


法政大学
 70  法政大学  内田重成Wikipedia
内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月8日(慶応4年1月15日) - 1965年(昭和40年)10月4日)は、山口県出身の裁判官、軍人、政治家。海軍中将、貴族院議員。関西法律学校(後の関西大学)、和仏法律学校(後の法政大学)卒業。
 71  法政大学  王揖唐Wikipedia
王 揖唐(おう ゆうとう)は、清末民初の政治家・軍人。安徽派の政治家として安福倶楽部を指導する。後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)に参加した。旧名は志洋。字は慎吾、什公。後に、名を賡、字を一堂と改めたが、号の揖唐で知られる。筆名は逸唐。
 72  法政大学  王用賓Wikipedia
王 用賓(おう ようひん)は、清末、中華民国の政治家・軍人。清末は革命派として活動し、民国時代は孫文(孫中山)に追随して中国国民党・国民政府で要職に就いた。字は太蕤。号は鶴村。
 73  法政大学  鄭謙Wikipedia
鄭 謙(てい けん)は中華民国の政治家、軍人。北京政府、奉天派で事務方をつとめた人物である。字は鳴之。
 74  法政大学  久納好孚Wikipedia
久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。最初に編成された神風特別攻撃隊の大和隊隊長として未帰還となったため、特攻第一号とする主張がある。
 75  法政大学  前田利貴Wikipedia
前田 利貴(まえだ としたか、1917年(大正6年) - 1948年(昭和23年)9月9日)は日本の軍人。最終階級は陸軍大尉。
 76  法政大学  中原光信Wikipedia
中原 光信(なかはら みつのぶ、1922年 - 2003年7月12日[1])は、日本の陸軍軍人。法政大学剣道部主将。階級は陸軍少尉、情報担当将校。終戦時は陸軍独立混成第34旅団所属。ベトナム独立戦争に参加。クァンガイ陸軍中学教官。ベトナム名はグエン・ミン・ゴック(Nguyen Minh Ngoc/阮明玉)。日越貿易会会長を務めた[1]。愛媛県出身[1]。
 77  法政大学  本田耕一Wikipedia
本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月14日[2])は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国海軍軍人。兵庫県出身。
 78  法政大学  水谷吉蔵Wikipedia
水谷 吉蔵(みずたに きちぞう、1880年(明治13年)8月30日 - 没年不明)は日本の陸軍軍人、政治学者。法政大学法学部教授、最終階級は陸軍輜重兵少佐。日本に初めて戦車を導入する際、イギリスに派遣された人物。


明治大学
 79  明治大学  滕傑Wikipedia
滕 傑(とう けつ、繁体字:滕杰、簡体字:滕傑、ピン音:Téng Jié、ウェード式:T'eng Chie、1906年1月25日(清光緒32年正月初1日) - 2004年(民国93年))は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。号は俊夫。江蘇省淮安府阜寧県の人。
 80  明治大学  原六郎Wikipedia
原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 昭和8年(1933年)11月14日)は日本の幕末から大正期の志士、軍人、銀行家、実業家。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。
 81  明治大学  高杉晋Wikipedia
ネ・ウィン(ビルマ語: နေဝင်း, ラテン文字転写: Ne Win、1911年5月14日 - 2002年12月5日)は、ビルマ(現在のミャンマー)の軍人、政治家。本名はシュ・マウン。独立運動の功労者であり、独立後、軍参謀総長、革命評議会議長、大統領、ビルマ社会主義計画党 (BSPP) 議長を務めたが独裁者として非難された。日本名は高杉晋。
 82  明治大学  三原朝雄Wikipedia
三原 朝雄(みはら あさお、1909年(明治42年)8月20日 - 2001年(平成13年)3月7日)は日本の政治家。元衆議院議員。文部大臣、防衛庁長官、総理府総務長官を歴任。勲一等旭日大綬章(1986年)。北九州市議会議員の三原征彦は長男、衆議院議員の三原朝彦は次男にあたる。陸軍軍人の山縣初男は岳父である。
 83  明治大学  呉鉄城Wikipedia
呉 鉄城(ご てつじょう)は中華民国の政治家・軍人。中国同盟会以来の革命派人士で、後に中国国民党、国民政府でも要職をつとめた。一般に国民党右派とみなされる。祖籍は広東省広州府香山県。
 84  明治大学  盛世才Wikipedia
盛 世才(せい せいさい)は中華民国の新疆地区の政治家・軍人である。1933年から1944年にかけて新疆を事実上の独立国のように統治した。その独裁的な治世から、「新疆王」とも呼ばれた。字は晋庸。
 85  明治大学  董彦平Wikipedia
董 彦平(とう げんぺい、繁体字:董彦平、簡体字:董彦平、ピン音:Dŏng Yànpíng、ウェード式:Tung Yen-p'ing、1896年(清光緒22年) - 1976年(民国81年)11月5日)は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。旧名は芝芳。字は佩青。内モンゴルホルチン右翼前旗(現在の吉林省洮南市)の人。


早稲田大学
 86  早稲田大学  乾正士Wikipedia
乾 正士(いぬい せいし、慶応4年3月25日(1868年4月17日) - 昭和16年(1941年)6月18日)は、日本の軍人。土佐藩士・板垣退助の庶長子。母は萩原復斎の娘、龠(やく)[1]。退助の嫡男子・板垣鉾太郎より2ヶ月早く出生したが、庶長子のため二男として育てられる。士族。
 87  早稲田大学  カンジュルジャブWikipedia
カンジュルジャブ(漢字:甘珠爾扎布、1903年 - 1968年?)は、モンゴル族出身の満州国軍の軍人である。満州事変の際に内蒙古自治軍を組織し、満州国建国後は興安軍の中心的人物となった。一時期、川島芳子と結婚していたことがある。最終階級は陸軍中将。カナ表記はカンジュルジャップとも。
 88  早稲田大学  稲嶺一郎Wikipedia
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。
 89  早稲田大学  森茂喜Wikipedia
森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年11月19日)は、日本の政治家、元軍人(陸軍中佐)。元根上村長の森喜平は父。第85・86代内閣総理大臣の森喜朗は長男。


二松學舍大学
 90  二松學舍大学  福島安正Wikipedia
福島 安正(ふくしま やすまさ、1852年10月27日(嘉永5年9月15日) - 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。
 91  二松學舍大学  浄法寺五郎Wikipedia
浄法寺 五郎(じょうほうじ ごろう、1865年5月22日(慶応元年4月28日) - 1938年1月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
 92  二松學舍大学  橘周太Wikipedia
橘 周太(たちばな しゅうた、慶応元年9月15日(1865年11月3日) - 明治37年(1904年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における遼陽の戦いで戦死し、以後軍神として尊崇される。官位は陸軍歩兵中佐正六位勲四等功四級。
 93  二松學舍大学  藤井幸槌Wikipedia
藤井 幸槌(ふじい こうつち、1864年2月12日(文久4年1月5日) - 1927年4月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
 94  二松學舍大学  松川敏胤Wikipedia
松川 敏胤(まつかわ としたね、安政6年11月9日(1859年12月2日) - 昭和3年(1928年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・朝鮮軍司令官・東京衛戍総督や第10・第16師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。宮城県仙台市出身。
 95  二松學舍大学  明石元二郎Wikipedia
明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。


皇學館大学
 96  皇學館大学  秦真次Wikipedia
秦 真次(はた しんじ、1879年4月6日 - 1950年2月24日)は、日本の陸軍軍人、神官。最終階級は陸軍中将。


同志社大学
 97  同志社大学  有馬良橘Wikipedia
有馬 良橘(ありま りょうきつ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 昭和19年(1944年)5月1日)は、日本の軍人。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。


立命館大学
 98  立命館大学  愛新覚羅溥傑Wikipedia
愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ、1907年4月16日 - 1994年2月28日)は、清および満州国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟。清朝における地位は醇親王継嗣、満州国軍人としての階級は陸軍中校(中佐に相当)。中華人民共和国では全人代常務委員会委員。立命館大学名誉法学博士。書家でもあり、流水の如き独特の書体は流麗で人気が高かった。


大阪歯科大学
 99  大阪歯科大学  園田直Wikipedia
園田 直(そのだ すなお、1913年(大正2年)12月11日 - 1984年(昭和59年)4月2日)は、日本の政治家、陸軍軍人。挺進第1連隊第2中隊長等を務める。階級は陸軍大尉。戦後一町田村助役・同村長・を経て衆議院議員に当選、内閣官房長官・外務大臣・厚生大臣等を歴任。熊本県天草島出身。弟の幹男は陸軍少佐。後妻・よし子との間に生まれた長男の博之は内閣官房副長官・衆議院議員・たちあがれ日本幹事長。また後々妻・天光光との間に生まれた次男の直飛人は自身の議員秘書にしている。


関西大学
 100  関西大学  内田重成Wikipedia
内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月8日(慶応4年1月15日) - 1965年(昭和40年)10月4日)は、山口県出身の裁判官、軍人、政治家。海軍中将、貴族院議員。関西法律学校(後の関西大学)、和仏法律学校(後の法政大学)卒業。
 101  関西大学  朴沃圭Wikipedia
朴 沃圭(1901年 - 1971年)は大韓民国の軍人、海軍中将。第2代海軍参謀総長を務めた。
 102  関西大学  金英煥Wikipedia
金英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日-1954年3月4日)は大韓民国の軍人。韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈。兄・貞烈によれば「飛行気違い」であったという[1]。


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