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このサイトに登録されている「軍人」の有名人の数:486人
青山学院大学
1 | 池田清 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
池田 清(いけだ きよし、1925年 - 2006年)は、日本海軍の軍人、政治学者。最終階級は海軍中尉。東北大学名誉教授。息子に、国際政治学者の池田明史がいる。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
1925年生まれの人  鹿児島県出身の1925年生まれの人 |
大阪外国語大学
2 | 松田武 山口県 出身 | Wikipedia |
松田 武(まつだ たけし、1906年8月3日 - 1988年9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1906年生まれの人  山口県出身の1906年生まれの人 |
大阪教育大学
3 | 秋山好古 | Wikipedia |
秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日(1859年2月9日)- 昭和5年(1930年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。幼名は信三郎。 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1859年生まれの人   |
大阪歯科大学
4 | 園田直 熊本県 出身 | Wikipedia |
園田 直(そのだ すなお、1913年(大正2年)12月11日 - 1984年(昭和59年)4月2日)は、日本の政治家、陸軍軍人。挺進第1連隊第2中隊長等を務める。階級は陸軍大尉。戦後一町田村助役・同村長・を経て衆議院議員に当選、内閣官房長官・外務大臣・厚生大臣等を歴任。熊本県天草島出身。弟の幹男は陸軍少佐。後妻・よし子との間に生まれた長男の博之は内閣官房副長官・衆議院議員・たちあがれ日本幹事長。また後々妻・天光光との間に生まれた次男の直飛人は自身の議員秘書にしている。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
熊本県立天草高等学校出身 全国の熊本県立天草高等学校の出身者 | ||
12月11日生まれの人  1913年生まれの人  熊本県出身の1913年生まれの人 |
岡山大学
5 | 出口佳努 大阪府 堺市 出身 | Wikipedia |
1962年6月23日生まれ。大阪府堺市出身。大阪府立三国丘高等学校から岡山大学法学部を経て、1986年3月幹部候補生として海上自衛隊に入隊。哨戒機P-3Cの戦術航空士。2017年8月海将に昇任、統合幕僚学校長に就任。2019年4月第41代海上幕僚副長に就任。軍人。 | ||
全国の大阪府出身者 全国の堺市出身者 | ||
大阪府立三国丘高等学校出身 全国の大阪府立三国丘高等学校の出身者 | ||
6月23日生まれの人  1962年生まれの人  大阪府出身の1962年生まれの人 | ||
6 | 三木忠直 | Wikipedia |
三木 忠直(みき ただなお、1909年12月15日 - 2005年4月20日)は、日本の大日本帝国海軍軍人、航空機技術者、鉄道技術者。最終階級は海軍技術少佐。新幹線の開発者。 | ||
12月15日生まれの人  1909年生まれの人   |
海軍機関学校
7 | 松平永芳 東京都 出身 | Wikipedia |
松平永芳(まつだいら ながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
暁星高等学校出身 全国の暁星高等学校の出身者 | ||
3月21日生まれの人  1915年生まれの人  東京都出身の1915年生まれの人 |
海軍経理学校
8 | 青木大吉 佐賀県 唐津市 出身 | Wikipedia |
青木 大吉(あおき だいきち、1896年7月2日 - 1994年1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。 | ||
全国の佐賀県出身者 全国の唐津市出身者 | ||
佐賀県立唐津東高等学校出身 全国の佐賀県立唐津東高等学校の出身者 | ||
7月2日生まれの人  1896年生まれの人  佐賀県出身の1896年生まれの人 |
海軍兵学校
9 | 小川陽一郎 福岡県 出身 | Wikipedia |
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
12月11日生まれの人  1941年生まれの人  福岡県出身の1941年生まれの人 |
10 | 左近允尚敏 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正15年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海将。鹿児島県出身。海兵72期。海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1925年生まれの人  鹿児島県出身の1925年生まれの人 | ||
11 | 仁科関夫 滋賀県 大津市 出身 | Wikipedia |
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の大津市出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1923年生まれの人  滋賀県出身の1923年生まれの人 | ||
12 | 関行男 愛媛県 西条市 出身 | Wikipedia |
関 行男(せき ゆきお/つらお[注釈 1]、1921年8月29日 - 1944年10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。特攻による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の愛媛県出身者 全国の西条市出身者 | ||
愛媛県立西条高等学校出身 全国の愛媛県立西条高等学校の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1921年生まれの人  愛媛県出身の1921年生まれの人 | ||
13 | 豊田穣 岐阜県 出身 | Wikipedia |
豊田 穣(とよだ じょう、1920年(大正9年)3月14日 - 1994年(平成6年)1月30日)は、日本の小説家・作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
岐阜県立本巣松陽高等学校出身 全国の岐阜県立本巣松陽高等学校の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1920年生まれの人  岐阜県出身の1920年生まれの人 | ||
14 | 酒巻和男 徳島県 阿波市 出身 | Wikipedia |
酒巻 和男(さかまき かずお、1918年(大正7年)11月8日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として参加。艇が座礁し、最初の日本人捕虜となる。最終階級は海軍少尉。 | ||
全国の徳島県出身者 全国の阿波市出身者 | ||
徳島県立脇町高等学校出身 全国の徳島県立脇町高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1918年生まれの人  徳島県出身の1918年生まれの人 | ||
15 | 古野繁實 福岡県 遠賀町 出身 | Wikipedia |
古野 繁実(ふるの しげみ、1918年(大正7年)5月10日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の福岡県出身者 全国の遠賀町出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1918年生まれの人  福岡県出身の1918年生まれの人 | ||
16 | 志賀淑雄 | Wikipedia |
志賀 淑雄(しが よしお、1914年(大正3年)- 2005年 (平成17年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。最終階級は海軍少佐。東京都出身。旧姓は四元。 | ||
山口県立山口高等学校出身 全国の山口県立山口高等学校の出身者 | ||
1914年生まれの人   | ||
17 | 国定謙男 岡山県 出身 | Wikipedia |
国定 謙男(くにさだ かねお、1913年(大正2年)2月10日 - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争の敗戦を受けて、一家四人で自決した海軍少佐である。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
北海道室蘭栄高等学校出身 全国の北海道室蘭栄高等学校の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1913年生まれの人  岡山県出身の1913年生まれの人 | ||
18 | 山岡大二 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6日 - 1991年(平成3年)11月1日)は東京都出身の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は、海軍少佐、海将補。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1913年生まれの人  鹿児島県出身の1913年生まれの人 | ||
19 | 飯田房太 山口県 周南市 出身 | Wikipedia |
飯田 房太(いいだ ふさた、1913年(大正2年)2月12日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の山口県出身者 全国の周南市出身者 | ||
山口県立徳山高等学校出身 全国の山口県立徳山高等学校の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1913年生まれの人  山口県出身の1913年生まれの人 |
20 | 兼子正 | Wikipedia |
兼子 正(かねこ ただし 1912年(明治45年)- 1942年(昭和17年)11月14日)は、日本の海軍軍人。空母艦上戦闘機搭乗員として、日中戦争及び太平洋戦争で撃墜王となる。ガダルカナルへの高速輸送船団の上空直衛の戦闘にて戦死。最終階級は海軍少佐。本籍は山形県西村山郡谷地町。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1912年生まれの人   | ||
21 | 板倉光馬 | Wikipedia |
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。 | ||
福岡県立小倉高等学校出身 全国の福岡県立小倉高等学校の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1912年生まれの人   | ||
22 | 大野博 千葉県 船橋市 出身 | Wikipedia |
大野 博(おおの ひろし、1911年 - 1939年(昭和14年)2月2日)は、日本の海軍軍人、海軍少佐。現在の千葉県船橋市出身で、父 大野善兵衛、母 正子の二男として生まれる。父は製麩業のかたわら、船橋町議などをつとめた。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の船橋市出身者 | ||
千葉県立千葉高等学校出身 全国の千葉県立千葉高等学校の出身者 | ||
1911年生まれの人  千葉県出身の1911年生まれの人 | ||
23 | 板谷隆一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
板谷 隆一(いたや たかいち、1911年(明治44年)8月20日 - 1991年(平成3年)9月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第60期)。海兵同期に鈴木實、進藤三郎など。第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
佐賀県立三養基高等学校出身 全国の佐賀県立三養基高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1911年生まれの人  佐賀県出身の1911年生まれの人 | ||
24 | 野中五郎 | Wikipedia |
野中 五郎(のなか ごろう、1910年(明治43年)11月18日 - 1945年(昭和20年)3月21日)は、日本の海軍軍人。特攻兵器「桜花」を擁する神雷部隊指揮官として九州沖航空戦に参加。最終階級は戦死による二階級特進で海軍大佐。海兵61期卒。 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1910年生まれの人   | ||
25 | 鈴木實 広島県 三原市 出身 | Wikipedia |
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。 | ||
全国の広島県出身者 全国の三原市出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1910年生まれの人  広島県出身の1910年生まれの人 | ||
26 | 村田重治 長崎県 出身 | Wikipedia |
村田 重治(むらた しげはる、1909年(明治42年)4月9日 - 1942年(昭和17年)10月26日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。南太平洋海戦で米空母「ホーネット」攻撃後に戦死した。二階級特進により最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
長崎県立島原高等学校出身 全国の長崎県立島原高等学校の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1909年生まれの人  長崎県出身の1909年生まれの人 | ||
27 | 江草隆繁 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
広島県立府中高等学校出身 全国の広島県立府中高等学校の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1909年生まれの人  広島県出身の1909年生まれの人 | ||
28 | 奥宮正武 高知県 出身 | Wikipedia |
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は、海軍では海軍中佐、自衛隊では空将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
大阪府立市岡高等学校出身 全国の大阪府立市岡高等学校の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1909年生まれの人  高知県出身の1909年生まれの人 | ||
29 | 嶋崎重和 奈良県 奈良市 出身 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の奈良県出身者 全国の奈良市出身者 | ||
愛知県立岡崎高等学校出身 全国の愛知県立岡崎高等学校の出身者 | ||
9月9日生まれの人  1908年生まれの人  奈良県出身の1908年生まれの人 |
30 | 鈴木英 千葉県 出身 | Wikipedia |
鈴木 英(すずき すぐる、1908年(明治41年) 4月1日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。太平洋戦争において軍令部作戦課員などを務め、戦後は海上自衛隊に入隊。最終階級は日本海軍では海軍中佐、海自では海将。父は鈴木孝雄陸軍大将で、その次男。妻は岡田啓介首相の娘、喜美子。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1908年生まれの人  千葉県出身の1908年生まれの人 | ||
31 | 高橋赫一 徳島県 出身 | Wikipedia |
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の徳島県出身者 | ||
徳島県立城南高等学校出身 全国の徳島県立城南高等学校の出身者 | ||
11月29日生まれの人  1906年生まれの人  徳島県出身の1906年生まれの人 | ||
32 | 檜貝襄治 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1906年生まれの人  千葉県出身の1906年生まれの人 | ||
33 | 中山定義 島根県 出身 | Wikipedia |
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。 | ||
全国の島根県出身者 | ||
島根県立大社高等学校出身 全国の島根県立大社高等学校の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1905年生まれの人  島根県出身の1905年生まれの人 | ||
34 | 田辺弥八 香川県 出身 | Wikipedia |
田辺 弥八(たなべ やはち、1905年(明治38年) 8月13日 - 1990年(平成2年)4月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争において米空母ヨークタウンを撃沈した「伊一六八」潜水艦長でもある。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1905年生まれの人  香川県出身の1905年生まれの人 | ||
35 | 庵原貢 兵庫県 出身 | Wikipedia |
庵原 貢(いはら みつぐ、1903年(明治36年)10月3日 - 1979年(昭和54年)3月31日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(第52期)。第3代海上幕僚長。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立豊岡高等学校出身 全国の兵庫県立豊岡高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1903年生まれの人  兵庫県出身の1903年生まれの人 | ||
36 | 山本祐二 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
山本 祐二(やまもと ゆうじ、1903年(明治36年)1月17日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。戦艦「大和」を旗艦とする第二艦隊の沖縄海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
1月17日生まれの人  1903年生まれの人  鹿児島県出身の1903年生まれの人 | ||
37 | 内藤雄 山形県 出身 | Wikipedia |
内藤 雄(ないとう たけし、1903年(明治36年)8月17日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人(海兵52期、海大36期卒)。太平洋戦争において艦隊参謀職を歴任した後、海軍乙事件で殉職。殉職による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1903年生まれの人  山形県出身の1903年生まれの人 | ||
38 | 黒井明 山形県 出身 | Wikipedia |
黒井 明(くろい あきら、1903年(明治36年)5月27日 - 1933年(昭和8年)3月10日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。水上機機長としての不時着水時の行動で責任感の鑑と称えられた。のちに殉職し最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
5月27日生まれの人  1903年生まれの人  山形県出身の1903年生まれの人 | ||
39 | 渡名喜守定 沖縄県 出身 | Wikipedia |
渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。 | ||
全国の沖縄県出身者 | ||
沖縄県立首里高等学校出身 全国の沖縄県立首里高等学校の出身者 | ||
2月5日生まれの人  1902年生まれの人  沖縄県出身の1902年生まれの人 |
40 | 淵田美津雄 奈良県 葛城市 出身 | Wikipedia |
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の奈良県出身者 全国の葛城市出身者 | ||
奈良県立畝傍高等学校出身 全国の奈良県立畝傍高等学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1902年生まれの人  奈良県出身の1902年生まれの人 | ||
41 | 木梨鷹一 大分県 臼杵市 出身 | Wikipedia |
木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。太平洋戦争において日本海軍を代表する潜水艦長のひとり。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の臼杵市出身者 | ||
大分県立臼杵高等学校出身 全国の大分県立臼杵高等学校の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1902年生まれの人  大分県出身の1902年生まれの人 | ||
42 | 島村信政 長野県 松本市 出身 | Wikipedia |
島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月7日 - 1944年(昭和19年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。殉職後は海軍大佐。 | ||
全国の長野県出身者 全国の松本市出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
8月7日生まれの人  1902年生まれの人  長野県出身の1902年生まれの人 | ||
43 | 吉田英三 福島県 出身 | Wikipedia |
吉田 英三(よしだ ひでみ、1902年(明治35年)3月5日 - 1978年(昭和53年)4月24日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大佐、海将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島県立磐城高等学校出身 全国の福島県立磐城高等学校の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1902年生まれの人  福島県出身の1902年生まれの人 | ||
44 | 柴勝男 千葉県 出身 | Wikipedia |
柴 勝男(しば かつお、1901年9月4日 - 1970年1月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。旧姓・阿部。千葉県出身。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
千葉県立長生高等学校出身 全国の千葉県立長生高等学校の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1901年生まれの人  千葉県出身の1901年生まれの人 | ||
45 | 鹿岡円平 福島県 出身 | Wikipedia |
鹿岡 円平(かのおか えんぺい、1901年(明治34年)4月11日 - 1944年(昭和19年)11月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
学校法人石川高等学校出身 全国の学校法人石川高等学校の出身者 | ||
4月11日生まれの人  1901年生まれの人  福島県出身の1901年生まれの人 | ||
46 | 豊田隈雄 大分県 杵築市 出身 | Wikipedia |
豊田 隈雄(とよだ くまお、1901年(明治34年)12月13日 - 1995年(平成7年)2月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の大分県出身者 全国の杵築市出身者 | ||
大分県立宇佐高等学校出身 全国の大分県立宇佐高等学校の出身者 | ||
12月13日生まれの人  1901年生まれの人  大分県出身の1901年生まれの人 | ||
47 | 佐薙毅 愛媛県 出身 | Wikipedia |
佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年(明治34年)8月8日 - 1990年(平成2年)3月14日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第2代航空幕僚長。海軍の最終階級は海軍大佐。自衛隊の最終階級は航空幕僚長たる空将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1901年生まれの人  愛媛県出身の1901年生まれの人 | ||
48 | 工藤俊作 山形県 高畠町 出身 | Wikipedia |
工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷」艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として有名である。 | ||
全国の山形県出身者 全国の高畠町出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1901年生まれの人  山形県出身の1901年生まれの人 | ||
49 | 長澤浩 福島県 福島市 出身 | Wikipedia |
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校(第49期)卒。第2代海上幕僚長。 | ||
全国の福島県出身者 全国の福島市出身者 | ||
福島県立福島高等学校出身 全国の福島県立福島高等学校の出身者 | ||
12月29日生まれの人  1900年生まれの人  福島県出身の1900年生まれの人 |
50 | 横山一郎 神奈川県 横須賀市 出身 | Wikipedia |
横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の横須賀市出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1900年生まれの人  神奈川県出身の1900年生まれの人 | ||
51 | 大石保 高知県 出身 | Wikipedia |
大石 保(おおいし たもつ、1900年1月28日 - 1946年2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1900年生まれの人  高知県出身の1900年生まれの人 | ||
52 | 和智恒蔵 | Wikipedia |
和智 恒蔵(わち つねぞう、旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)は、日本の海軍軍人、僧。最終階級は海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。二男三女の父。僧名は恒阿弥。 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1900年生まれの人   | ||
53 | 神重徳 鹿児島県 出水市 出身 | Wikipedia |
神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の出水市出身者 | ||
鹿児島県立川内高等学校出身 全国の鹿児島県立川内高等学校の出身者 | ||
1月23日生まれの人  1900年生まれの人  鹿児島県出身の1900年生まれの人 | ||
54 | 宮崎俊男 兵庫県 出身 | Wikipedia |
宮嵜 俊男(みやざき としお、1899年(明治32年)10月18日 - 1965年(昭和40年)4月7日)は、日本の海軍軍人。米駐在時代に情報活動に従事し、米国官憲に摘発され国外追放処分を受ける。太平洋戦争中、連合艦隊先任参謀に擬せられるが、山本五十六の戦死により実現しなかった。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1899年生まれの人  兵庫県出身の1899年生まれの人 | ||
55 | 三和義勇 岡山県 出身 | Wikipedia |
三和 義勇(みわ よしたけ、1899年(明治32年)4月26日 - 1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。海兵48期。最終階級は海軍少将。テニアン島で戦死。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1899年生まれの人  岡山県出身の1899年生まれの人 | ||
56 | 黛治夫 群馬県 出身 | Wikipedia |
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
群馬県立富岡高等学校出身 全国の群馬県立富岡高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1899年生まれの人  群馬県出身の1899年生まれの人 | ||
57 | 沖野亦男 東京都 出身 | Wikipedia |
沖野 亦男(おきの またお、1898年(明治31年)7月27日 - 1978年(昭和53年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 中国勤務が長く"海軍の長江男"と異名があった中華民国専門家である。第二次世界大戦で片足を失い捕虜となる。戦後は傷痍軍人会の創設、障害者スポーツの振興に尽力した。傷痍軍人会専務理事、世界歴戦者連盟(WVF - World Veterans Federation)理事。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1898年生まれの人  東京都出身の1898年生まれの人 | ||
58 | 伏見宮博義王 | Wikipedia |
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子[4]。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある[5][6]。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
12月8日生まれの人  1897年生まれの人   | ||
59 | 加世田哲彦 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
加世田 哲彦(かせだ てつひこ、1897年(明治30年)11月11日 - 1971年(昭和46年)7月25日)は、日本の海軍軍人。成績優秀な将校であったが、神政龍神会の結成にかかわり、不敬罪に問われ失官となる。最終階級は海軍中佐。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1897年生まれの人  鹿児島県出身の1897年生まれの人 |
60 | 猪口敏平 鳥取県 鳥取市 出身 | Wikipedia |
猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の鳥取市出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1896年生まれの人  鳥取県出身の1896年生まれの人 | ||
61 | 小島秀雄 | Wikipedia |
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
4月5日生まれの人  1896年生まれの人   | ||
62 | 松田千秋 熊本県 出身 | Wikipedia |
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
熊本県立鹿本高等学校出身 全国の熊本県立鹿本高等学校の出身者 | ||
9月29日生まれの人  1896年生まれの人  熊本県出身の1896年生まれの人 | ||
63 | 川井巌 山形県 山形市 出身 | Wikipedia |
川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。 | ||
全国の山形県出身者 全国の山形市出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
9月2日生まれの人  1896年生まれの人  山形県出身の1896年生まれの人 | ||
64 | 亀井凱夫 東京都 出身 | Wikipedia |
亀井 凱夫(かめい よしお、1896年(明治29年)3月21日 - 1944年(昭和19年)8月10日)は、日本の海軍軍人で戦闘機搭乗員。津和野藩主・亀井氏の一族で、戸籍上は亀井貫一郎 の義兄となるが血縁上は実弟。革新官僚の毛里英於菟は義弟。吉良俊一に続き空母への着艦を成功させ、また夜間における空母着艦を成し遂げた。太平洋戦争において航空隊司令として歴戦し戦死。最終階級は海軍少将である。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
3月21日生まれの人  1896年生まれの人  東京都出身の1896年生まれの人 | ||
65 | 菊池朝三 福島県 出身 | Wikipedia |
菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島県立磐城高等学校出身 全国の福島県立磐城高等学校の出身者 | ||
11月22日生まれの人  1896年生まれの人  福島県出身の1896年生まれの人 | ||
66 | 森下信衛 愛知県 出身 | Wikipedia |
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立明和高等学校出身 全国の愛知県立明和高等学校の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1895年生まれの人  愛知県出身の1895年生まれの人 | ||
67 | 横井忠雄 大分県 出身 | Wikipedia |
横井 忠雄(よこい ただお、1895年(明治28年)3月6日 - 1965年(昭和40年)9月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。大分県大分市出身。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1895年生まれの人  大分県出身の1895年生まれの人 | ||
68 | 岩淵三次 新潟県 三条市 出身 | Wikipedia |
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の三条市出身者 | ||
新潟県立三条高等学校出身 全国の新潟県立三条高等学校の出身者 | ||
3月2日生まれの人  1895年生まれの人  新潟県出身の1895年生まれの人 | ||
69 | 有馬正文 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28)9月25日 - 1944年(昭和19)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1895年生まれの人  鹿児島県出身の1895年生まれの人 |
70 | 渋谷清見 高知県 出身 | Wikipedia |
渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
9月27日生まれの人  1895年生まれの人  高知県出身の1895年生まれの人 | ||
71 | 西田正雄 兵庫県 たつの市 出身 | Wikipedia |
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国のたつの市出身者 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1895年生まれの人  兵庫県出身の1895年生まれの人 | ||
72 | 高田利種 | Wikipedia |
高田 利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵45期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。 | ||
東洋大学京北高等学校出身 全国の東洋大学京北高等学校の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1895年生まれの人   | ||
73 | 奥田喜久司 兵庫県 出身 | Wikipedia |
奥田 喜久司(おくだ きくじ、1894年(明治27年)2月4日 - 1939年(昭和14年)11月4日)は、日本の海軍軍人。少年飛行兵制度を発案することで予科練に至る基礎をつくり、のちに航空隊司令として作戦指揮中に戦死した海軍少将である。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
2月4日生まれの人  1894年生まれの人  兵庫県出身の1894年生まれの人 | ||
74 | 矢野英雄 香川県 三豊市 出身 | Wikipedia |
矢野 英雄(やの ひでお、1894年(明治27年)11月1日 - 1944年(昭和19年)7月8日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。サイパンで戦死、特進により最終階級は海軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 全国の三豊市出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1894年生まれの人  香川県出身の1894年生まれの人 | ||
75 | 黒木剛一 宮崎県 宮崎市 出身 | Wikipedia |
黒木剛一(くろき ごういち、1894年(明治27年)2月16日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の宮崎県出身者 全国の宮崎市出身者 | ||
宮崎県立宮崎大宮高等学校出身 全国の宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1894年生まれの人  宮崎県出身の1894年生まれの人 | ||
76 | 大野竹二 | Wikipedia |
大野 竹二(おおの たけじ、1894年10月1日 - 1976年12月18日)は、日本海軍の軍人。 戦艦「大和」第4代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1894年生まれの人   | ||
77 | 牟田口格郎 東京都 出身 | Wikipedia |
牟田口 格郎(むたくち かくろう、1894年1月2日 - 1945年7月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1894年生まれの人  東京都出身の1894年生まれの人 | ||
78 | 野元為輝 東京都 出身 | Wikipedia |
野元 為輝(のもと ためき、1894年(明治27年)8月29日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は、日本の海軍軍人。第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に空母・「瑞鶴」艦長として参戦した。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1894年生まれの人  東京都出身の1894年生まれの人 | ||
79 | 伊集院松治 東京都 千代田区 出身 | Wikipedia |
伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
全国の東京都出身者 全国の千代田区出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
4月21日生まれの人  1893年生まれの人  東京都出身の1893年生まれの人 |
80 | 小柳冨次 | Wikipedia |
小柳 冨次[注釈 1](こやなぎ とみじ、1893年7月16日 - 1978年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
新潟県立新発田高等学校出身 全国の新潟県立新発田高等学校の出身者 | ||
7月16日生まれの人  1893年生まれの人   | ||
81 | 三好輝彦 大分県 竹田市 出身 | Wikipedia |
三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年(明治26年)11月15日 - 1943年(昭和18年)6月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の竹田市出身者 | ||
大分県立宇佐高等学校出身 全国の大分県立宇佐高等学校の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1893年生まれの人  大分県出身の1893年生まれの人 | ||
82 | 加来止男 熊本県 八代市 出身 | Wikipedia |
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の八代市出身者 | ||
熊本県立八代高等学校出身 全国の熊本県立八代高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1893年生まれの人  熊本県出身の1893年生まれの人 | ||
83 | 市岡寿 岐阜県 出身 | Wikipedia |
市岡 寿(いちおか ひさし、1893年5月26日 - 1963年2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1893年生まれの人  岐阜県出身の1893年生まれの人 | ||
84 | 山崎重暉 高知県 出身 | Wikipedia |
山崎 重暉(やまざき しげあき、1893年1月21日 - 1980年12月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1893年生まれの人  高知県出身の1893年生まれの人 | ||
85 | 小林謙五 滋賀県 出身 | Wikipedia |
小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1893年生まれの人  滋賀県出身の1893年生まれの人 | ||
86 | 岡田次作 石川県 出身 | Wikipedia |
岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1893年生まれの人  石川県出身の1893年生まれの人 | ||
87 | 上阪香苗 滋賀県 出身 | Wikipedia |
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
滋賀県立膳所高等学校出身 全国の滋賀県立膳所高等学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1892年生まれの人  滋賀県出身の1892年生まれの人 | ||
88 | 鍋島俊策 熊本県 宇城市 出身 | Wikipedia |
鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - 1948年4月28日)は、日本の海軍軍人。海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の宇城市出身者 | ||
熊本県立八代高等学校出身 全国の熊本県立八代高等学校の出身者 | ||
9月10日生まれの人  1892年生まれの人  熊本県出身の1892年生まれの人 | ||
89 | 田中頼三 山口県 山口市 出身 | Wikipedia |
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 全国の山口市出身者 | ||
山口県立山口高等学校出身 全国の山口県立山口高等学校の出身者 | ||
4月27日生まれの人  1892年生まれの人  山口県出身の1892年生まれの人 |
90 | 山田定義 福岡県 出身 | Wikipedia |
山田 定義(やまだ さだよし、1892年11月26日 - 1971年11月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
島根県立松江北高等学校出身 全国の島根県立松江北高等学校の出身者 | ||
11月26日生まれの人  1892年生まれの人  福岡県出身の1892年生まれの人 | ||
91 | 山口多聞 | Wikipedia |
山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将。 | ||
開成高等学校出身 全国の開成高等学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1892年生まれの人   | ||
92 | 草鹿龍之介 石川県 出身 | Wikipedia |
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1892年生まれの人  石川県出身の1892年生まれの人 | ||
93 | 高木武雄 福島県 出身 | Wikipedia |
高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった。海軍兵学校同期に伊藤整一、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島県立磐城高等学校出身 全国の福島県立磐城高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1892年生まれの人  福島県出身の1892年生まれの人 | ||
94 | 山縣正郷 山口県 出身 | Wikipedia |
山縣 正郷(やまがた まさくに、有職読み:せいごう、新字体:山県、1891年(明治24年)2月15日 ‐ 1945年(昭和20年)3月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
山口県立徳山高等学校出身 全国の山口県立徳山高等学校の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1891年生まれの人  山口県出身の1891年生まれの人 | ||
95 | 大田実 | Wikipedia |
大田 實(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。 | ||
千葉県立千葉高等学校出身 全国の千葉県立千葉高等学校の出身者 | ||
4月7日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
96 | 醍醐忠重 | Wikipedia |
醍醐 忠重(だいご ただしげ、明治24年(1891年)10月15日 - 昭和22年(1947年)12月6日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。爵位は侯爵 オランダ領東インド | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
97 | 保科善四郎 宮城県 角田市 出身 | Wikipedia |
保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。 | ||
全国の宮城県出身者 全国の角田市出身者 | ||
宮城県角田高等学校出身 全国の宮城県角田高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1891年生まれの人  宮城県出身の1891年生まれの人 | ||
98 | 妹尾知之 | Wikipedia |
妹尾 知之(せのお ともゆき、明治24年〈1891年〉 - 昭和59年〈1984年〉)は、日本の海軍軍人。海軍中将。海軍兵学校40期生。海軍大学校22期生。 | ||
広島県立日彰館高等学校出身 全国の広島県立日彰館高等学校の出身者 | ||
1891年生まれの人   | ||
99 | 阿部勝雄 岩手県 出身 | Wikipedia |
阿部 勝雄(あべ かつお、1891年4月18日 - 1948年5月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
岩手県立一関第一高等学校出身 全国の岩手県立一関第一高等学校の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1891年生まれの人  岩手県出身の1891年生まれの人 |
100 | 木村昌福 | Wikipedia |
木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 | ||
静岡県立静岡高等学校出身 全国の静岡県立静岡高等学校の出身者 | ||
12月6日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
101 | 多田武雄 岩手県 出身 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1890年生まれの人  岩手県出身の1890年生まれの人 | ||
102 | 田結穣 岐阜県 出身 | Wikipedia |
田結 穣(たゆい みのる、1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
岐阜県立大垣北高等学校出身 全国の岐阜県立大垣北高等学校の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1890年生まれの人  岐阜県出身の1890年生まれの人 | ||
103 | 宇垣纏 | Wikipedia |
宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
104 | 上野正雄 東京都 出身 | Wikipedia |
上野 正雄(うえの まさお、1890年(明治23年)7月16日 - 1965年(昭和40年)2月16日)は、日本の華族、海軍軍人。爵位は伯爵、最終階級は海軍少将。旧姓は永田。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
7月16日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
105 | 角田覚治 新潟県 三条市 出身 | Wikipedia |
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の三条市出身者 | ||
新潟県立三条高等学校出身 全国の新潟県立三条高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1890年生まれの人  新潟県出身の1890年生まれの人 | ||
106 | 伊藤整一 福岡県 みやま市 出身 | Wikipedia |
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の福岡県出身者 全国のみやま市出身者 | ||
福岡県立伝習館高等学校出身 全国の福岡県立伝習館高等学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1890年生まれの人  福岡県出身の1890年生まれの人 | ||
107 | 中村俊久 神奈川県 出身 | Wikipedia |
中村 俊久(なかむら としひさ、1890年2月16日 - 1972年3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校出身 全国の神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1890年生まれの人  神奈川県出身の1890年生まれの人 | ||
108 | 戸塚道太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年(明治23年)4月21日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
4月21日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
109 | 志摩清英 東京都 出身 | Wikipedia |
志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 |
110 | 千田貞敏 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 1944年12月25日戦死認定)は、日本海軍の軍人。ビアク島の戦いにて戦死。戦死後、一階級進級し海軍中将。正四位勲二等旭日重光章。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1890年生まれの人  鹿児島県出身の1890年生まれの人 | ||
111 | 三木森彦 | Wikipedia |
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 - 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。東京都目黒区出身。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1890年生まれの人   | ||
112 | 西村祥治 秋田県 出身 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
秋田県立秋田高等学校出身 全国の秋田県立秋田高等学校の出身者 | ||
11月30日生まれの人  1889年生まれの人  秋田県出身の1889年生まれの人 | ||
113 | 金沢正夫 山口県 出身 | Wikipedia |
金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年10月25日 - 1969年6月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
山口県立山口高等学校出身 全国の山口県立山口高等学校の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1889年生まれの人  山口県出身の1889年生まれの人 | ||
114 | 越智孝平 愛媛県 松山市 出身 | Wikipedia |
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。 | ||
全国の愛媛県出身者 全国の松山市出身者 | ||
愛媛県立松山北高等学校出身 全国の愛媛県立松山北高等学校の出身者 | ||
2月3日生まれの人  1889年生まれの人  愛媛県出身の1889年生まれの人 | ||
115 | 栗田健男 茨城県 水戸市 出身 | Wikipedia |
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。 | ||
全国の茨城県出身者 全国の水戸市出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1889年生まれの人  茨城県出身の1889年生まれの人 | ||
116 | 佐藤市郎 山口県 出身 | Wikipedia |
佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月28日 - 1958年(昭和33年)4月14日)は、日本の海軍軍人、歴史家。最終階級は海軍中将。共に内閣総理大臣を務めた岸信介、佐藤栄作兄弟の実兄である。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1889年生まれの人  山口県出身の1889年生まれの人 | ||
117 | 松浦永次郎 静岡県 掛川市 出身 | Wikipedia |
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。 | ||
全国の静岡県出身者 全国の掛川市出身者 | ||
静岡県立掛川西高等学校出身 全国の静岡県立掛川西高等学校の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1889年生まれの人  静岡県出身の1889年生まれの人 | ||
118 | 高橋伊望 福島県 出身 | Wikipedia |
高橋 伊望(たかはし いぼう、1888年(明治21年)4月20日 - 1947年(昭和22年)3月18日)は日本の海軍軍人。太平洋戦争において司令長官職を歴任した海軍中将である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島県立相馬高等学校出身 全国の福島県立相馬高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1888年生まれの人  福島県出身の1888年生まれの人 | ||
119 | 清水光美 長野県 松本市 出身 | Wikipedia |
清水光美(しみず みつみ、1888年(明治21年)3月16日 - 1971年(昭和46年)5月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の松本市出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
3月16日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 |
120 | 細萱戊子郎 長野県 佐久市 出身 | Wikipedia |
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の佐久市出身者 | ||
長野県野沢北高等学校出身 全国の長野県野沢北高等学校の出身者 | ||
6月24日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
121 | 草鹿任一 石川県 出身 | Wikipedia |
草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
12月7日生まれの人  1888年生まれの人  石川県出身の1888年生まれの人 | ||
122 | 南雲忠一 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。最終階級は海軍大将。サイパン島において自決。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
3月25日生まれの人  1887年生まれの人  山形県出身の1887年生まれの人 | ||
123 | 桑原虎雄 東京都 出身 | Wikipedia |
桑原 虎雄(くわばら とらお、1887年(明治20年)10月26日 - 1975年(昭和50年)6月5日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1887年生まれの人  東京都出身の1887年生まれの人 | ||
124 | 松田竹太郎 | Wikipedia |
松田 竹太郎(まつだ たけたろう、1887年(明治20年)1月16日 - 1944年(昭和19年)5月8日)は、日本の工学者・海軍軍人。最終階級は、海軍少将。 東京府立工業奨励館・東京商工奨励館館長などを歴任。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月16日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
125 | 住山徳太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
住山 徳太郎(すみやま とくたろう、1886年(明治19年)5月1日 - 1962年(昭和37年)11月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1886年生まれの人  東京都出身の1886年生まれの人 | ||
126 | 島津忠重 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
島津 忠重(しまづ ただしげ、1886年(明治19年)10月20日 - 1968年(昭和43年)4月9日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
10月20日生まれの人  1886年生まれの人  鹿児島県出身の1886年生まれの人 | ||
127 | 小沢治三郎 宮崎県 出身 | Wikipedia |
小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。 | ||
全国の宮崎県出身者 | ||
宮崎県立宮崎大宮高等学校出身 全国の宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1886年生まれの人  宮崎県出身の1886年生まれの人 | ||
128 | 佐藤正四郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年(明治19年)10月25日 - 1958年(昭和33年)7月7日)は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
新潟県立長岡高等学校出身 全国の新潟県立長岡高等学校の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1886年生まれの人  新潟県出身の1886年生まれの人 | ||
129 | 近藤信竹 大阪府 出身 | Wikipedia |
近藤 信竹(こんどう のぶたけ、1886年(明治19年)9月25日 - 1953年(昭和28年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
大阪府立天王寺高等学校出身 全国の大阪府立天王寺高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1886年生まれの人  大阪府出身の1886年生まれの人 |
130 | 豊田副武 大分県 出身 | Wikipedia |
豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。 | ||
全国の大分県出身者 | ||
大分県立杵築高等学校出身 全国の大分県立杵築高等学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1885年生まれの人  大分県出身の1885年生まれの人 | ||
131 | 平田昇 東京都 出身 | Wikipedia |
平田 昇(ひらた のぼる、1885年12月1日 - 1958年5月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 | ||
132 | 野村直邦 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18)5月15日 - 1973年(昭和48)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1885年生まれの人  鹿児島県出身の1885年生まれの人 | ||
133 | 片桐英吉 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
片桐 英吉(かたぎり えいきち、1885年9月24日 - 1972年8月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1885年生まれの人  山形県出身の1885年生まれの人 | ||
134 | 下村正助 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
下村 正助(しもむら しょうすけ、1885年(明治18年)1月9日 - 1953年(昭和28年)7月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
1月9日生まれの人  1885年生まれの人  山形県出身の1885年生まれの人 | ||
135 | 有馬寛 和歌山県 出身 | Wikipedia |
有馬 寛(ありま ゆたか、1885年2月14日 - 1951年1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1885年生まれの人  和歌山県出身の1885年生まれの人 | ||
136 | 国府尽平 福島県 出身 | Wikipedia |
國府 尽平(こうの じんぺい、1885年(明治18年) - 1956年(昭和31年)4月30日)は、日本の海軍軍人、医師。海軍中佐で予備役となった[注 1]のち、医学博士号を取得した。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1885年生まれの人  福島県出身の1885年生まれの人 | ||
137 | 坂野常善 | Wikipedia |
坂野 常善(さかの つねよし、1884年(明治17年)12月1日 - 1971年(昭和46年)9月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
138 | 寺本武治 島根県 出身 | Wikipedia |
寺本 武治(てらもと たけじ、1884年2月25日 - 1958年12月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の島根県出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1884年生まれの人  島根県出身の1884年生まれの人 | ||
139 | 松下元 福岡県 出身 | Wikipedia |
松下 元(まつした はじめ、1884年8月10日 - 1953年12月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校で教育に使われた「五省」の考案者として知られる。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立明善高等学校出身 全国の福岡県立明善高等学校の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1884年生まれの人  福岡県出身の1884年生まれの人 |
140 | 山本五十六 新潟県 長岡市 出身 | Wikipedia |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の長岡市出身者 | ||
新潟県立長岡高等学校出身 全国の新潟県立長岡高等学校の出身者 | ||
4月4日生まれの人  1884年生まれの人  新潟県出身の1884年生まれの人 | ||
141 | 及川古志郎 新潟県 古志郡 出身 | Wikipedia |
及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の古志郡出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1883年生まれの人  新潟県出身の1883年生まれの人 | ||
142 | 嶋田繁太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京高等学校出身 全国の東京高等学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1883年生まれの人  東京都出身の1883年生まれの人 | ||
143 | 堀悌吉 大分県 杵築市 出身 | Wikipedia |
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。 | ||
全国の大分県出身者 全国の杵築市出身者 | ||
大分県立杵築高等学校出身 全国の大分県立杵築高等学校の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1883年生まれの人  大分県出身の1883年生まれの人 | ||
144 | 井上二三雄 群馬県 出身 | Wikipedia |
井上 二三雄(いのうえ ふみお)、1883年(明治16年)12月25日 - 1919年(大正8年)3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。井上日召は弟。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1883年生まれの人  群馬県出身の1883年生まれの人 | ||
145 | 塩沢幸一 長野県 中川村 出身 | Wikipedia |
塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。 | ||
全国の長野県出身者 全国の中川村出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1883年生まれの人  長野県出身の1883年生まれの人 | ||
146 | 加藤隆義 広島県 出身 | Wikipedia |
加藤 隆義(かとう たかよし、明治16年(1883年)3月20日 - 昭和30年(1955年)2月10日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。子爵。広島県出身で旧姓は船越。同郷の加藤友三郎元帥から養子に迎えられ、以後加藤姓を名乗る。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1883年生まれの人  広島県出身の1883年生まれの人 | ||
147 | 井上継松 福井県 出身 | Wikipedia |
井上 継松(いのうえ つぐまつ、1883年5月 - 1966年12月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1883年生まれの人  福井県出身の1883年生まれの人 | ||
148 | 植松練磨 福島県 南相馬市 出身 | Wikipedia |
植松 練磨(うえまつ とうま、1883年4月30日 - 1948年8月22日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
全国の福島県出身者 全国の南相馬市出身者 | ||
福島県立安積高等学校出身 全国の福島県立安積高等学校の出身者 | ||
4月30日生まれの人  1883年生まれの人  福島県出身の1883年生まれの人 | ||
149 | 出光万兵衛 福岡県 出身 | Wikipedia |
出光 万兵衛(いでみつ まんべえ、1882年11月9日 - 1964年7月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 スポーツキャスターの出光ケイは孫にあたる。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1882年生まれの人  福岡県出身の1882年生まれの人 |
150 | 有地十五郎 東京都 出身 | Wikipedia |
有地 十五郎(ありち じゅうごろう、1882年10月22日 - 1947年11月8日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
10月22日生まれの人  1882年生まれの人  東京都出身の1882年生まれの人 | ||
151 | 阿武天風 山口県 萩市 出身 | Wikipedia |
阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年(明治15年)9月8日 - 1928年(昭和3年)6月22日)は日本の軍人、小説家、編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。 | ||
全国の山口県出身者 全国の萩市出身者 | ||
山口県立萩高等学校出身 全国の山口県立萩高等学校の出身者 | ||
9月8日生まれの人  1882年生まれの人  山口県出身の1882年生まれの人 | ||
152 | 下村忠助 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
下村 忠助(しもむら ちゅうすけ、1881年〈明治14年〉10月8日 - 1916年〈大正5年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で観戦武官として戦死した海軍中佐である。海大甲種10期首席。正六位勲四等功四級。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1881年生まれの人  山形県出身の1881年生まれの人 | ||
153 | 八角三郎 岩手県 盛岡市 出身 | Wikipedia |
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年(明治13年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の盛岡市出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1880年生まれの人  岩手県出身の1880年生まれの人 | ||
154 | 安東昌喬 岐阜県 出身 | Wikipedia |
安東 昌喬(あんどう まさたか、1880年5月28日 - 1956年4月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1880年生まれの人  岐阜県出身の1880年生まれの人 | ||
155 | 永野修身 高知県 出身 | Wikipedia |
永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍三長官全てを経験した唯一の軍人。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。千葉工業大学の創設者。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1880年生まれの人  高知県出身の1880年生まれの人 | ||
156 | 今村信次郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
今村 信次郎(いまむら のぶじろう、1880年(明治13年)12月4日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
12月4日生まれの人  1880年生まれの人  山形県出身の1880年生まれの人 | ||
157 | 米内光政 岩手県 盛岡市 出身 | Wikipedia |
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の盛岡市出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
3月2日生まれの人  1880年生まれの人  岩手県出身の1880年生まれの人 | ||
158 | 佐久間勉 福井県 出身 | Wikipedia |
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
福井県立若狭高等学校出身 全国の福井県立若狭高等学校の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1879年生まれの人  福井県出身の1879年生まれの人 | ||
159 | 清河純一 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
清河 純一(きよかわ じゅんいち、1878年1月7日 - 1935年3月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1878年生まれの人  鹿児島県出身の1878年生まれの人 |
160 | 漢那憲和 沖縄県 那覇市 出身 | Wikipedia |
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年9月6日 - 1950年7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。海軍兵学校27期卒。 | ||
全国の沖縄県出身者 全国の那覇市出身者 | ||
沖縄県立首里高等学校出身 全国の沖縄県立首里高等学校の出身者 | ||
9月6日生まれの人  1877年生まれの人  沖縄県出身の1877年生まれの人 | ||
161 | 小林躋造 | Wikipedia |
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1877年生まれの人   | ||
162 | 山本信次郎 神奈川県 藤沢市 出身 | Wikipedia |
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日)は日本の海軍軍人、カトリック教会信徒。最終階級は海軍少将、正三位勲二等功五級。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の藤沢市出身者 | ||
暁星高等学校出身 全国の暁星高等学校の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1877年生まれの人  神奈川県出身の1877年生まれの人 | ||
163 | 伊藤安吉 東京都 出身 | Wikipedia |
伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年(明治6年)5月14日 - 1951年(昭和26年)9月15日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍造機少将、貴族院男爵議員。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1873年生まれの人  東京都出身の1873年生まれの人 | ||
164 | 大谷幸四郎 高知県 出身 | Wikipedia |
大谷 幸四郎(おおたに こうしろう、1872年8月23日(明治5年7月20日) - 1937年6月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1872年生まれの人  高知県出身の1872年生まれの人 | ||
165 | 島内桓太 | Wikipedia |
島内 桓太(しまのうち かんた、1871年1月31日(明治3年12月11日) - 1940年9月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
島根県立隠岐水産高等学校出身 全国の島根県立隠岐水産高等学校の出身者 | ||
1月31日生まれの人  1871年生まれの人   | ||
166 | 千坂智次郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
千坂 智次郎(ちさか ちじろう、慶応4年2月15日(1868年3月8日) - 昭和11年(1936年)2月23日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1868年生まれの人  山形県出身の1868年生まれの人 | ||
167 | 吉田増次郎 | Wikipedia |
吉田 増次郎(よしだ ますじろう、1867年7月29日 (慶応3年6月28日) - 1942年3月14日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
静岡県立静岡高等学校出身 全国の静岡県立静岡高等学校の出身者 | ||
7月29日生まれの人  1867年生まれの人   | ||
168 | 黒井悌次郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
黒井 悌次郎(くろい ていじろう、慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和12年(1937年)4月29日)は明治から大正期の日本の海軍軍人。海軍大将。山形県出身。なお、江戸時代の米沢藩士・黒井忠寄との関係は不詳。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
7月4日生まれの人  1866年生まれの人  山形県出身の1866年生まれの人 | ||
169 | 上泉徳弥 山形県 出身 | Wikipedia |
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年11月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
攻玉社高等学校出身 全国の攻玉社高等学校の出身者 | ||
11月13日生まれの人  1865年生まれの人  山形県出身の1865年生まれの人 |
170 | 山下源太郎 山形県 米沢市 出身 | Wikipedia |
山下 源太郎(やました げんたろう、文久3年7月30日(1863年8月26日) - 昭和6年(1931年)2月18日)は、明治、大正時代の日本海軍軍人、華族。位階・勲等・功級・爵位は、海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。 | ||
全国の山形県出身者 全国の米沢市出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
8月26日生まれの人  1863年生まれの人  山形県出身の1863年生まれの人 | ||
171 | 島村速雄 | Wikipedia |
島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1858年生まれの人   | ||
172 | 大橋勝夫 神奈川県 鎌倉市 出身 | Wikipedia |
大橋 勝夫(おおはし かつお、生年不明 - 1945年(昭和20年)7月16日[* 1])は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争において四艦の潜水艦長を歴任し、交通破壊戦に戦果を挙げた。その一方で漂流していた連合国将兵を攻撃せず、戦後になってこの大橋の行為が明らかとなった。神龍特別攻撃隊を構成した「伊13」潜水艦長として戦死し、一階級昇進により最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の鎌倉市出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
173 | 風間万年 福島県 出身 | Wikipedia |
風間 万年[* 1](かざま まんねん、生年不明 - 1945年(昭和20年)1月3日または1月4日)は、日本の海軍軍人。神風特別攻撃隊旭日隊の指揮官であり、特攻により戦死したが、その作戦行動については資料によって異同がある。二階級特進により最終階級は海軍少佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島県立喜多方高等学校出身 全国の福島県立喜多方高等学校の出身者 | ||
海軍砲術学校
174 | 新見政一 広島県 広島市 出身 | Wikipedia |
新見 政一(にいみ まさいち、1887年(明治20年)2月4日 - 1993年(平成5年)4月2日)は、日本の海軍軍人、戦史研究家。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の広島県出身者 全国の広島市出身者 | ||
広島県立忠海高等学校出身 全国の広島県立忠海高等学校の出身者 | ||
2月4日生まれの人  1887年生まれの人  広島県出身の1887年生まれの人 |
関西大学
175 | 金英煥 | Wikipedia |
金英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日-1954年3月4日)は大韓民国の軍人。韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈。兄・貞烈によれば「飛行気違い」であったという[1]。 | ||
1月8日生まれの人  1921年生まれの人   | ||
176 | 朴沃圭 | Wikipedia |
朴 沃圭(1901年 - 1971年)は大韓民国の軍人、海軍中将。第2代海軍参謀総長を務めた。 | ||
1901年生まれの人   |
関東学院大学
177 | 佐藤さとる 神奈川県 出身 | Wikipedia |
佐藤 さとる(さとう さとる、1928年2月13日 - )は、日本の童話作家。本名の佐藤暁名義による作品もある。実業之日本社で編集者生活を送った後、作家となった。『コロボックル物語』シリーズをはじめとするファンタジー的作品で知られる。海軍軍人の父(ミッドウェイ海戦で戦死)と小学校教員の母を持ち、10歳まで神奈川県横須賀市で育ち横浜に転居、以後横浜を拠点として創作活動を行う。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校出身 全国の神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1928年生まれの人  神奈川県出身の1928年生まれの人 |
学習院大学
178 | 野村吉三郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1877年生まれの人  和歌山県出身の1877年生まれの人 | ||
179 | 山梨勝之進 | Wikipedia |
山梨 勝之進(やまなし かつのしん、1877年(明治10年)7月26日 - 1967年(昭和42年)12月17日)は、日本の海軍の軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 | ||
7月26日生まれの人  1877年生まれの人   |
180 | 一戸兵衛 青森県 出身 | Wikipedia |
一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。官位は陸軍大将従二位勲一等功二級。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
東奥義塾高等学校出身 全国の東奥義塾高等学校の出身者 | ||
6月20日生まれの人  1855年生まれの人  青森県出身の1855年生まれの人 | ||
181 | 乃木希典 山口県 出身 | Wikipedia |
乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 大正元年(1912年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。階級は陸軍大将。栄典は贈正二位・勲一等・功一級・伯爵。第10代学習院院長。家紋は「市松四つ目結い」。幼名は無人(なきと)で、その後、源三と名を改め、頼時とも称した[1]。 さらに後、文蔵、次いで希典と名を改めた。また、出雲源氏佐々木氏の子孫と称したことから源希典との署名もよく用いた[2]。号としては、静堂、秀顕、石樵及び石林子を用いた[1]。「乃木大将」または「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い[3]。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
山口県立豊浦高等学校出身 全国の山口県立豊浦高等学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1849年生まれの人  山口県出身の1849年生まれの人 | ||
182 | 三浦梧楼 山口県 出身 | Wikipedia |
三浦 梧楼(梧樓)(みうら ごろう、弘化3年11月15日(1847年1月1日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の武士、軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。栄典は従一位勲一等子爵。号は観樹。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1847年生まれの人  山口県出身の1847年生まれの人 | ||
183 | 大迫尚敏 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
大迫 尚敏(おおさこ なおはる、天保15年11月15日(1844年12月24日) - 昭和2年(1927年)9月20日)は、日本の武士・薩摩藩士、陸軍軍人、華族。学習院長、第7師団長等を務める。栄典は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1844年生まれの人  鹿児島県出身の1844年生まれの人 | ||
184 | 谷干城 高知県 出身 | Wikipedia |
谷 干城(たに たてき / かんじょう、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 明治44年(1911年)5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
2月12日生まれの人  1837年生まれの人  高知県出身の1837年生まれの人 | ||
185 | 大鳥圭介 兵庫県 出身 | Wikipedia |
大鳥 圭介(おおとり けいすけ、天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、日本の西洋軍学者、幕臣、軍人、官僚、外交官。正二位勲一等男爵。家紋は鶴の丸。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
2月25日生まれの人  1833年生まれの人  兵庫県出身の1833年生まれの人 |
九州大学
186 | 安永航一郎 | Wikipedia |
安永 航一郎(やすなが こういちろう、1962年1月13日[1] - )は、日本の漫画家。パロディや下ネタを扱った作品を多く手掛ける[2]。また、同人サークル「沖縄体液軍人会」(おきなわたいえきぐんじんかい)を主宰しており、同人活動においては、自身の作風をより強めた形でアニメやゲーム作品などの二次創作物を発行している[2]。 | ||
大分県立大分舞鶴高等学校出身 全国の大分県立大分舞鶴高等学校の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1962年生まれの人   | ||
187 | 榎本隆一郎 和歌山県 出身 | Wikipedia |
榎本 隆一郎(えのもと りゅういちろう、1894年2月8日 - 1987年2月7日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
2月8日生まれの人  1894年生まれの人  和歌山県出身の1894年生まれの人 |
京都大学
188 | 山下耕作 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
山下 耕作(やました こうさく、1930年1月10日 - 1998年12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。愛称は同姓の軍人・山下奉文に因んで「将軍」。[1]両者に姻戚関係はない。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
鹿児島県立出水高等学校出身 全国の鹿児島県立出水高等学校の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1930年生まれの人  鹿児島県出身の1930年生まれの人 | ||
189 | 吉田之久 奈良県 出身 | Wikipedia |
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。 | ||
全国の奈良県出身者 | ||
奈良県立畝傍高等学校出身 全国の奈良県立畝傍高等学校の出身者 | ||
12月4日生まれの人  1926年生まれの人  奈良県出身の1926年生まれの人 |
190 | 石井四郎 千葉県 芝山町 出身 | Wikipedia |
石井 四郎(いしい しろう、1892年6月25日 - 1959年10月9日)は、日本の陸軍軍人、軍医。関東軍防疫給水部長、第1軍軍医部長を歴任する。最終階級は陸軍軍医中将。功四級、医学博士。731部隊の創設者として防疫活動や細菌戦の研究・実戦、人体実験を中国で行った。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の芝山町出身者 | ||
千葉県立千葉高等学校出身 全国の千葉県立千葉高等学校の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1892年生まれの人  千葉県出身の1892年生まれの人 |
慶應義塾大学
191 | 野村実 滋賀県 出身 | Wikipedia |
野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
滋賀県立彦根東高等学校出身 全国の滋賀県立彦根東高等学校の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1922年生まれの人  滋賀県出身の1922年生まれの人 | ||
192 | 上原良司 長野県 出身 | Wikipedia |
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
9月27日生まれの人  1922年生まれの人  長野県出身の1922年生まれの人 | ||
193 | 宅島徳光 | Wikipedia |
宅島 徳光(たくじま のりみつ、1921年 - 1945年4月9日)は、大日本帝国海軍の軍人、作詞家。海軍中尉。松島航空隊機長。 | ||
1921年生まれの人   | ||
194 | 松野頼三 熊本県 出身 | Wikipedia |
松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12日 - 2006年(平成18年)5月10日)は、日本の政治家。軍人時代の最終階級は海軍主計少佐。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任した。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1917年生まれの人  熊本県出身の1917年生まれの人 | ||
195 | 大山梓 | Wikipedia |
大山 梓(おおやま あずさ、1916年 - 1992年)は、日本の海軍軍人、研究者。軍人時代の階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫・大山柏の長男。 | ||
1916年生まれの人   | ||
196 | 河石達吾 広島県 出身 | Wikipedia |
河石 達吾(かわいし たつご、1911年(明治44年)12月10日 - 1945年(昭和20年)3月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人、最終階級は陸軍大尉。水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形銀メダリスト。慶應義塾大学法学部出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
修道高等学校出身 全国の修道高等学校の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1911年生まれの人  広島県出身の1911年生まれの人 | ||
197 | 富永靖 長崎県 出身 | Wikipedia |
冨永 恭次(富永 恭次、とみなが きょうじ、1892年(明治25年)1月2日 - 1960年(昭和35年)1月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
1月2日生まれの人  1892年生まれの人  長崎県出身の1892年生まれの人 | ||
198 | 高松春治 富山県 出身 | Wikipedia |
高松 梅治(たかまつうめじ、うめはる、明治15年1882年12月〜)とは、日本の軍人、学者、発明家である。無限軌道を発明したことで知られる。 | ||
全国の富山県出身者 | ||
富山県立富山高等学校出身 全国の富山県立富山高等学校の出身者 | ||
1882年生まれの人  富山県出身の1882年生まれの人 | ||
199 | 魚潭 | Wikipedia |
魚 潭(オ・ダム、1881年5月7日 – 1943年7月5日)は、大韓帝国軍及び大日本帝国陸軍の軍人。日本統治時代の1940年に西川潭一(にしかわ・たんいち)と改名している[1]。 | ||
5月7日生まれの人  1881年生まれの人   |
200 | 畑英太郎 福島県 出身 | Wikipedia |
畑 英太郎(はた えいたろう、1872年8月28日(明治5年7月25日) - 1930年5月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1872年生まれの人  福島県出身の1872年生まれの人 | ||
201 | 永田泰次郎 | Wikipedia |
永田 泰次郎(ながた やすじろう、1867年1月26日(慶応3年12月21日) - 1923年(大正12年)1月19日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲三等金鵄勲章。 | ||
1月26日生まれの人  1867年生まれの人   | ||
202 | 土屋光金 愛知県 出身 | Wikipedia |
土屋 光金(つちや みつかね、1864年12月1日(元治元年11月3日) - 1925年3月20日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中将。貴族院議員、男爵。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
12月1日生まれの人  1864年生まれの人  愛知県出身の1864年生まれの人 | ||
203 | 浅岡満俊 愛媛県 出身 | Wikipedia |
浅岡 満俊(あさおか みつとし、1861年12月28日(文久元年11月27日) - 1936年(昭和11年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海軍造船中将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
12月28日生まれの人  1861年生まれの人  愛媛県出身の1861年生まれの人 | ||
204 | 有馬良橘 和歌山県 出身 | Wikipedia |
有馬 良橘(ありま りょうきつ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 昭和19年(1944年)5月1日)は、日本の軍人。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1861年生まれの人  和歌山県出身の1861年生まれの人 | ||
205 | 小橋篤蔵 東京都 出身 | Wikipedia |
小橋 篤蔵(こはし あつぞう、1860年(万延元年) - 没年不詳)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。従四位勲三等旭日中綬章。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1860年生まれの人  東京都出身の1860年生まれの人 | ||
206 | 鏑木誠 千葉県 出身 | Wikipedia |
鏑木 誠(かぶらぎ まこと、1857年10月7日(安政4年8月20日) - 1919年(大正8年)4月9日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。海軍少将、従四位勲三等。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
10月7日生まれの人  1857年生まれの人  千葉県出身の1857年生まれの人 | ||
207 | 大河内輝剛 | Wikipedia |
大河内 輝剛(おおこうち てるたけ、1855年1月16日(安政元年11月28日) - 1909年(明治42年)10月9日)は、日本の明治期の教育者、軍人、実業家、衆議院議員、歌舞伎座社長。勲六等。 | ||
1月16日生まれの人  1855年生まれの人   | ||
208 | 平山藤次郎 | Wikipedia |
平山 藤次郎(ひらやま とうじろう、1851年(嘉永4年8月) - 1910年(明治43年)5月11日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。商船学校長。 | ||
1851年生まれの人   | ||
209 | 日高壮之丞 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
日高 壮之丞(ひだか そうのじょう、嘉永元年3月23日(1848年4月26日) - 昭和7年(1932年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海軍大将勲一等功二級男爵。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
1848年生まれの人  鹿児島県出身の1848年生まれの人 |
210 | 神辰太郎 | Wikipedia |
神 辰太郎(じん たつたろう、弘化1年(1844年) - 大正14年(1925年))は、弘前藩士、海軍軍人。のちに機関長を歴任した。 | ||
1844年生まれの人   | ||
211 | 中牟田倉之助 佐賀県 出身 | Wikipedia |
中牟田 倉之助(なかむた くらのすけ、天保8年2月24日(1837年3月30日) - 大正5年(1916年)3月30日)は、日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
2月24日生まれの人  1837年生まれの人  佐賀県出身の1837年生まれの人 |
皇學館大学
212 | 秦真次 三重県 出身 | Wikipedia |
秦 真次(はた しんじ、1879年(明治12年)4月6日 - 1950年(昭和25年)2月24日)は、日本の陸軍軍人、神職。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
4月6日生まれの人  1879年生まれの人  三重県出身の1879年生まれの人 |
神戸大学
213 | 村上雄藏 兵庫県 出身 | Wikipedia |
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
3月20日生まれの人  1926年生まれの人  兵庫県出身の1926年生まれの人 |
成城大学
214 | ジョン・F・アイソ 東京都 出身 | Wikipedia |
ジョン・フジオ・アイソ(John Fujio Aiso、日本名:相磯 藤雄〈あいそ ふじお〉、1908年12月14日 – 1987年12月29日)は、アメリカ合衆国の軍人・弁護士・裁判官。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
12月14日生まれの人  1908年生まれの人  東京都出身の1908年生まれの人 |
専修大学
215 | 崔栄喜 | Wikipedia |
崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1月11日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。朝鮮戦争の指揮官であり、陸軍中将で陸軍参謀総長(第12代)を務めた。退役後は国会議員(第7代・第8代・第9代・第10代)、国防長官(第16代)、維新政友会院内総務などを歴任した。 | ||
3月1日生まれの人  1921年生まれの人   | ||
216 | 齋藤実 岩手県 出身 | Wikipedia |
斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は泉水(せんすい)。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
12月2日生まれの人  1858年生まれの人  岩手県出身の1858年生まれの人 |
高崎経済大学
217 | 清水武明 | Wikipedia |
清水 武明(しみず たけあき)は旧日本海軍の軍人。なお、高崎経済大学名誉教授の清水武明 (教育者)とは別人であり血縁関係もない。 |
大東文化大学
218 | 伊丹明 鹿児島県 カリフォルニア州オークランド 出身 | Wikipedia |
伊丹 明(いたみ あきら、1911年 - 1950年12月26日)は、日系アメリカ人二世のアメリカ陸軍軍人。アメリカ名はデイヴィッド・アキラ・イタミ(David Akira Itami)で、デイブ(Dave)とも呼ばれていた。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国のカリフォルニア州オークランド出身者 | ||
鹿児島県立加治木高等学校出身 全国の鹿児島県立加治木高等学校の出身者 | ||
1911年生まれの人  鹿児島県出身の1911年生まれの人 |
中央大学
219 | 川北博 石川県 出身 | Wikipedia |
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - )は、公認会計士、税理士、会計学者(監査論)。学位は博士 (会計学)(中央大学・2000年)。不動産鑑定士。司法書士。「公認会計士川北・徳永事務所」代表、「宗和税理士法人」代表、日本公認会計士協会相談役。監査法人トーマツ会長、日本公認会計士協会会長、日本内部統制研究学会会長を歴任した。陸軍の軍人。娘婿は徳永信(公認会計士、税理士)。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1925年生まれの人  石川県出身の1925年生まれの人 |
東亜同文書院大学
220 | 田中徹雄 | Wikipedia |
田中 徹雄(たなか てつお、1918年? - 昭和54年(1979年)12月21日(享年61))は、日本の陸軍軍人(大尉)。元山梨県副知事。 | ||
1918年生まれの人   | ||
221 | 檜貝嚢治 | Wikipedia |
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 | ||
11月20日生まれの人  1906年生まれの人   |
東京医科大学
222 | 柄沢十三夫 東京都 出身 | Wikipedia |
柄沢 十三夫(からさわ とみお、1911年7月18日 - 1956年10月19日または10月20日)は、日本の陸軍軍人、軍医。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
7月18日生まれの人  1911年生まれの人  東京都出身の1911年生まれの人 |
東京海洋大学
223 | 長田博 東京都 出身 | Wikipedia |
長田 博(ながた ひろし、1927年(昭和2年)9月6日 - 2013年(平成25年)12月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。第24代自衛艦隊司令官を経て第16代海上幕僚長を務めた。海軍兵学校出身最後の海上幕僚長(海兵76期)。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
9月6日生まれの人  1927年生まれの人  東京都出身の1927年生まれの人 | ||
224 | 三田一也 埼玉県 出身 | Wikipedia |
三田 一也(みた かずや)は船長。元海軍軍人(予備将校)。海上保安官。最終階級は、海軍では海軍中佐。海上保安庁では警備救難監(海上保安官の最高位)、海上保安庁次長。戦後、海上自衛隊復活を討議した「Y委員会」の主要メンバー。一貫して再軍備には反対の立場を取った。埼玉県羽生市出身。不動岡中学(後の埼玉県立不動岡高等学校卒業)。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
埼玉県立不動岡高等学校出身 全国の埼玉県立不動岡高等学校の出身者 |
東京外国語大学
225 | 山口常光 東京都 出身 | Wikipedia |
山口 常光(やまぐち つねみつ、1894年(明治27年)5月25日 - 1977年(昭和52年)1月30日)は、日本の陸軍軍人、指揮者、クラリネット奏者。最終階級は陸軍軍楽少佐。陸軍戸山学校軍楽隊長、初代警視庁音楽隊長。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
5月25日生まれの人  1894年生まれの人  東京都出身の1894年生まれの人 | ||
226 | 秋草俊 栃木県 出身 | Wikipedia |
秋草 俊(あきくさ しゅん、1894年(明治27年)4月6日 - 1949年(昭和24年)3月22日)は、昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍士官学校(26期)卒。陸軍中野学校校長(初代)を務めた。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
4月6日生まれの人  1894年生まれの人  栃木県出身の1894年生まれの人 | ||
227 | 飯村穣 東京都 出身 | Wikipedia |
飯村 穣(いいむら じょう、1888年(明治21年)5月20日 - 1976年(昭和51年)2月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。茨城県出身。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
5月20日生まれの人  1888年生まれの人  東京都出身の1888年生まれの人 | ||
228 | 豊田貞次郎 東京都 出身 | Wikipedia |
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
8月7日生まれの人  1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 |
東京大学
229 | 和田稔 福岡県 出身 | Wikipedia |
和田 稔(わだ みのる、1922年1月13日 - 1945年7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
静岡県立沼津東高等学校出身 全国の静岡県立沼津東高等学校の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1922年生まれの人  福岡県出身の1922年生まれの人 |
230 | 住栄作 富山県 出身 | Wikipedia |
住 栄作(すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(元衆議院議員)、官僚。 | ||
全国の富山県出身者 | ||
富山県立魚津高等学校出身 全国の富山県立魚津高等学校の出身者 | ||
5月20日生まれの人  1920年生まれの人  富山県出身の1920年生まれの人 | ||
231 | 栗栖弘臣 広島県 出身 | Wikipedia |
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年(大正9年)2月27日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の内務省官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第12代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立呉三津田高等学校出身 全国の広島県立呉三津田高等学校の出身者 | ||
2月27日生まれの人  1920年生まれの人  広島県出身の1920年生まれの人 | ||
232 | 奥田教久 | Wikipedia |
奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - )は、昭和前期の陸軍軍人。戦後は科学ジャーナリスト、エンジニアとして活動した朝日新聞社論説委員。後に朝日カルチャーセンター社長。1939年、第一高等学校、1942年、東京帝国大学工学部卒。陸軍第三期航空技術候補生出身。カトリック教徒。 | ||
2月1日生まれの人  1919年生まれの人   | ||
233 | 蝦名賢造 青森県 出身 | Wikipedia |
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。経済学博士。専門は財政学。青森県東津軽郡小湊町出身。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
巣鴨高等学校出身 全国の巣鴨高等学校の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1918年生まれの人  青森県出身の1918年生まれの人 | ||
234 | 徳川慶光 | Wikipedia |
德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。爵位は公爵。通称は有職読みの「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1913年生まれの人   | ||
235 | 松田武 山口県 出身 | Wikipedia |
松田 武(まつだ たけし、1906年8月3日 - 1988年9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1906年生まれの人  山口県出身の1906年生まれの人 | ||
236 | 徳川宗敬 | Wikipedia |
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
5月31日生まれの人  1897年生まれの人   | ||
237 | 新庄健吉 京都府 出身 | Wikipedia |
新庄 健吉(しんじょう けんきち、明治30年(1897年)9月30日 - 昭和16年(1941年)12月5日)は、大日本帝国陸軍(以下陸軍という)の軍人。陸軍経理学校教官・支那派遣軍経理部員・企画院調査官等を歴任し、階級は陸軍主計大佐に至る。情報将校としてアメリカ合衆国の国力を詳細に調査し、戦争の見通しについて報告書を作るなど情報分析能力が注目された。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
9月30日生まれの人  1897年生まれの人  京都府出身の1897年生まれの人 | ||
238 | 原乙未生 福岡県 出身 | Wikipedia |
原 乙未生(はら とみお、1895年6月12日 - 1990年11月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。日本の戦車開発の黎明期に中心的役割を果たし「日本戦車の父」と呼ばれている。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
6月12日生まれの人  1895年生まれの人  福岡県出身の1895年生まれの人 | ||
239 | 北野政次 兵庫県 出身 | Wikipedia |
北野 政次(きたの まさじ、1894年(明治27年)7月14日 - 1986年(昭和61年)5月17日)は日本の陸軍軍人。陸軍軍医中将。勲三等1926年 (大正15年) 東京大学医学博士。論文の題は 「チフス及パラチフス菌属の血清耐性に関する実験的研究」[1]。 東京帝国大学医学部を卒業後に陸軍に入隊し、731部隊の第二任部隊長。生体解剖、人体実験の推進者であった[2] | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
7月14日生まれの人  1894年生まれの人  兵庫県出身の1894年生まれの人 |
240 | 成瀬正二 | Wikipedia |
成瀬 正二(なるせ せいじ、1893年12月26日 - 1960年4月13日)は、日本の工学者・海軍軍人である。 | ||
12月26日生まれの人  1893年生まれの人   | ||
241 | 江崎岩吉 東京都 出身 | Wikipedia |
江崎 岩吉(えさき いわきち、1890年12月1日 - 1986年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍技術中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立両国高等学校出身 全国の東京都立両国高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1890年生まれの人  東京都出身の1890年生まれの人 | ||
242 | 山田幸五郎 青森県 青森市 出身 | Wikipedia |
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。 | ||
全国の青森県出身者 全国の青森市出身者 | ||
青森県立青森高等学校出身 全国の青森県立青森高等学校の出身者 | ||
9月10日生まれの人  1889年生まれの人  青森県出身の1889年生まれの人 | ||
243 | 安田武雄 | Wikipedia |
安田 武雄(やすだ たけお、1889年1月16日 - 1964年8月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
1月16日生まれの人  1889年生まれの人   | ||
244 | 穂積律之助 東京都 出身 | Wikipedia |
穂積 律之助(ほずみ りつのすけ、1884年(明治17年)8月13日 – 1959年(昭和34年)2月23日)は、日本の工学者、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍造船少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1884年生まれの人  東京都出身の1884年生まれの人 | ||
245 | 岸本綾夫 岡山県 出身 | Wikipedia |
岸本 綾夫(きしもと あやお、1879年6月27日 - 1946年11月28日)は、日本の陸軍軍人、東京市長。軍人としての最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
6月27日生まれの人  1879年生まれの人  岡山県出身の1879年生まれの人 | ||
246 | 安田伊左衛門 岐阜県 出身 | Wikipedia |
安田 伊左衛門(やすだ いさえもん、安田 伊左衞門、1872年7月28日- 1958年5月18日)は日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍騎兵大尉。衆議院議員ののち貴族院議員、日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長。正五位勲三等旭日中綬章。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
7月28日生まれの人  1872年生まれの人  岐阜県出身の1872年生まれの人 | ||
247 | 勝田主計 愛媛県 出身 | Wikipedia |
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人であった[1]。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
9月15日生まれの人  1869年生まれの人  愛媛県出身の1869年生まれの人 |
東京農業大学
248 | 粟田彰常 東京都 出身 | Wikipedia |
粟田 彰常(あわた あきつね、1920年(大正9年)5月13日 - 2006年(平成18年)8月30日)は、日本の皇族、華族、陸軍軍人。陸軍大将東久邇宮稔彦王第三王子で、母は明治天皇第九皇女東久邇聡子。兄に盛厚王、師正王、弟に俊彦王がいる。階級は陸軍大尉、勲等は勲一等旭日桐花大綬章、爵位は侯爵。皇族時代は彰常王と称された。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
5月13日生まれの人  1920年生まれの人  東京都出身の1920年生まれの人 |
東京理科大学
249 | 高木惣吉 熊本県 出身 | Wikipedia |
高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人で最終階級は海軍少将。また東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
8月9日生まれの人  1893年生まれの人  熊本県出身の1893年生まれの人 |
東北学院大学
250 | 井上達三 | Wikipedia |
井上 達三(いのうえ たつぞう、1877年(明治10年) - 1950年(昭和25年))は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。 | ||
1877年生まれの人   |
東北大学
251 | 橋本宙二 宮城県 出身 | Wikipedia |
橋本 宙二(はしもと ちゅうじ、明治31年(1898年)12月23日 - 昭和45年(1970年)3月15日は、日本海軍の軍人(最終階級は海軍大佐)、実業家。東京市渋谷区出身。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
12月23日生まれの人  1898年生まれの人  宮城県出身の1898年生まれの人 |
東洋大学
252 | 張都暎 | Wikipedia |
張 都暎(チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。陸軍参謀総長、国家再建最高会議議長を務めた。 | ||
1月23日生まれの人  1923年生まれの人   |
同志社大学
253 | 有馬良橘 和歌山県 出身 | Wikipedia |
有馬 良橘(ありま りょうきつ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 昭和19年(1944年)5月1日)は、日本の軍人。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
11月15日生まれの人  1861年生まれの人  和歌山県出身の1861年生まれの人 |
二松學舍大学
254 | 浄法寺五郎 栃木県 出身 | Wikipedia |
浄法寺 五郎(じょうほうじ ごろう、1865年5月22日(慶応元年4月28日) - 1938年1月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
5月22日生まれの人  1865年生まれの人  栃木県出身の1865年生まれの人 | ||
255 | 橘周太 長崎県 出身 | Wikipedia |
橘 周太(たちばな しゅうた、慶応元年9月15日(1865年11月3日) - 明治37年(1904年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における遼陽の戦いで戦死し、以後軍神として尊崇される。官位は陸軍歩兵中佐正六位勲四等功四級。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
9月15日生まれの人  1865年生まれの人  長崎県出身の1865年生まれの人 | ||
256 | 藤井幸槌 山口県 出身 | Wikipedia |
藤井 幸槌(ふじい こうつち、1864年2月12日(文久4年1月5日) - 1927年4月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
2月12日生まれの人  1864年生まれの人  山口県出身の1864年生まれの人 | ||
257 | 明石元二郎 | Wikipedia |
明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1864年生まれの人   | ||
258 | 松川敏胤 | Wikipedia |
松川 敏胤(まつかわ としたね、安政6年11月9日(1859年12月2日) - 昭和3年(1928年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・朝鮮軍司令官・東京衛戍総督や第10・第16師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。宮城県仙台市出身。 | ||
11月9日生まれの人  1859年生まれの人   | ||
259 | 福島安正 長野県 出身 | Wikipedia |
福島 安正(ふくしま やすまさ、1852年10月27日(嘉永5年9月15日) - 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
10月27日生まれの人  1852年生まれの人  長野県出身の1852年生まれの人 |
日本大学
260 | 石丸進一 佐賀県 佐賀市 出身 | Wikipedia |
石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1945年5月11日)は、プロ野球選手(投手・内野手)、大日本帝国海軍軍人。 | ||
全国の佐賀県出身者 全国の佐賀市出身者 | ||
佐賀県立佐賀商業高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀商業高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1922年生まれの人  佐賀県出身の1922年生まれの人 | ||
261 | 宮崎清隆 東京都 出身 | Wikipedia |
宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月25日)は、日本の小説家、陸軍軍人。最終階級は陸軍憲兵曹長。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1918年生まれの人  東京都出身の1918年生まれの人 | ||
262 | 草地貞吾 東京都 出身 | Wikipedia |
草地 貞吾(くさち ていご、1904年5月28日 - 2001年11月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
5月28日生まれの人  1904年生まれの人  東京都出身の1904年生まれの人 | ||
263 | 石井繁丸 東京都 出身 | Wikipedia |
石井繁丸(いしい しげまる、1904年1月1日 - 1983年10月8日)は、日本の政治家・弁護士、軍人(陸軍曹長)。元前橋市立工業短期大学学長。元衆議院議員、前橋市長。群馬県勢多郡出身。日本大学卒業。日本社会党に所属した。勲二等瑞宝章に叙せられた。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1月1日生まれの人  1904年生まれの人  東京都出身の1904年生まれの人 | ||
264 | 松下芳男 東京都 出身 | Wikipedia |
松下 芳男(まつした よしお、明治25年(1892年)5月4日 - 昭和58年(1983年)4月9日)は、日本陸軍の軍人(陸軍中尉)・軍事評論家・軍事史家。「明治軍制史論」で法学博士(東京大学)。新潟県新発田町(新発田市)出身。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
5月4日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 |
一橋大学
265 | 小川誠 東京都 出身 | Wikipedia |
小川 誠(おがわ まこと、1917年(大正6年)2月 - )は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機搭乗員。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1917年生まれの人  東京都出身の1917年生まれの人 | ||
266 | 倉澤清忠 東京都 出身 | Wikipedia |
倉澤 清忠(くらさわ きよただ、1917年 - 2003年10月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。東京都出身[1]。第一東京市立中学校(のちの東京都立九段高等学校)卒業[2]。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1917年生まれの人  東京都出身の1917年生まれの人 | ||
267 | 武井大助 茨城県 出身 | Wikipedia |
武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月25日 - 1972年(昭和47年)3月30日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍主計中将。安田銀行・文化放送の元社長。1940年勲一等旭日大綬章受章。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立土浦第一高等学校出身 全国の茨城県立土浦第一高等学校の出身者 | ||
4月25日生まれの人  1887年生まれの人  茨城県出身の1887年生まれの人 | ||
268 | 植田謙吉 大阪府 出身 | Wikipedia |
植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級[1]。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1875年生まれの人  大阪府出身の1875年生まれの人 | ||
269 | 石光真清 | Wikipedia |
石光 真清(眞清)(いしみつ まきよ、慶応4年8月30日(1868年)10月15日) - 昭和17年(1942年)5月15日)は、日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)、諜報活動家。明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した。 | ||
8月30日生まれの人  1868年生まれの人   |
広島大学
270 | 大山梓 | Wikipedia |
大山 梓(おおやま あずさ、1916年 - 1992年)は、日本の海軍軍人、研究者。軍人時代の階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫・大山柏の長男。 | ||
1916年生まれの人   |
法政大学
271 | 本田耕一 兵庫県 出身 | Wikipedia |
本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月14日[2])は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国海軍軍人。兵庫県出身。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
日本大学第三高等学校出身 全国の日本大学第三高等学校の出身者 | ||
1923年生まれの人  兵庫県出身の1923年生まれの人 | ||
272 | 中原光信 | Wikipedia |
中原 光信(なかはら みつのぶ、1922年 - 2003年7月12日[1])は、日本の陸軍軍人。法政大学剣道部主将。階級は陸軍少尉、情報担当将校。終戦時は陸軍独立混成第34旅団所属。ベトナム独立戦争に参加。クァンガイ陸軍中学教官。ベトナム名はグエン・ミン・ゴック(Nguyen Minh Ngoc/阮明玉)。日越貿易会会長を務めた[1]。愛媛県出身[1]。 | ||
1922年生まれの人   | ||
273 | 久納好孚 | Wikipedia |
久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。最初に編成された神風特別攻撃隊の大和隊隊長として未帰還となったため、特攻第一号とする主張がある。 | ||
1月15日生まれの人  1921年生まれの人   | ||
274 | 前田利貴 東京都 出身 | Wikipedia |
前田 利貴(まえだ としたか、1917年(大正6年) - 1948年(昭和23年)9月9日)は日本の軍人。最終階級は陸軍大尉。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1917年生まれの人  東京都出身の1917年生まれの人 | ||
275 | 水谷吉蔵 大阪府 出身 | Wikipedia |
水谷 吉蔵(みずたに きちぞう、1880年(明治13年)8月30日 - 没年不明)は日本の陸軍軍人、政治学者。法政大学法学部教授、最終階級は陸軍輜重兵少佐。日本に初めて戦車を導入する際、イギリスに派遣された人物。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
8月30日生まれの人  1880年生まれの人  大阪府出身の1880年生まれの人 | ||
276 | 内田重成 | Wikipedia |
内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月8日(慶応4年1月15日) - 1965年(昭和40年)10月4日)は、山口県出身の裁判官、軍人、政治家。海軍中将、貴族院議員。関西法律学校(後の関西大学)、和仏法律学校(後の法政大学)卒業。 | ||
2月8日生まれの人  1868年生まれの人   | ||
277 | 王揖唐 | Wikipedia |
王 揖唐(おう ゆうとう)は、清末民初の政治家・軍人。安徽派の政治家として安福倶楽部を指導する。後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)に参加した。旧名は志洋。字は慎吾、什公。後に、名を賡、字を一堂と改めたが、号の揖唐で知られる。筆名は逸唐。 | ||
278 | 王用賓 | Wikipedia |
王 用賓(おう ようひん)は、清末、中華民国の政治家・軍人。清末は革命派として活動し、民国時代は孫文(孫中山)に追随して中国国民党・国民政府で要職に就いた。字は太蕤。号は鶴村。 | ||
279 | 鄭謙 | Wikipedia |
鄭 謙(てい けん)は中華民国の政治家、軍人。北京政府、奉天派で事務方をつとめた人物である。字は鳴之。 |
北海道大学
280 | 江口良友 北海道 出身 | Wikipedia |
江口 良友(えぐち よしとも、1921年(大正10年) - )は、日本の工学者・農学者・元軍人。農学博士(北海道大学)。専門は、微生物工学。北海道におけるバイオ研究の大家。特定非営利活動法人北海道バイオ産業振興協会顧問。静修短期大学元学長。北海道小樽市出身 | ||
全国の北海道出身者 | ||
1921年生まれの人  北海道出身の1921年生まれの人 |
武蔵大学
281 | 近藤道生 東京都 出身 | Wikipedia |
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベステル騎士団長勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
2月2日生まれの人  1920年生まれの人  東京都出身の1920年生まれの人 |
武蔵野美術大学
282 | 水木しげる 鳥取県 出身 | Wikipedia |
水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[注 1]3月8日 - 2015年11月30日[1])は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。 | ||
全国の鳥取県出身者 | ||
大阪高等学校出身 全国の大阪高等学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1922年生まれの人  鳥取県出身の1922年生まれの人 |
明治大学
283 | 董彦平 東京都 出身 | Wikipedia |
董 彦平(とう げんぺい、中国語; 董彦平; ピン音; Dŏng Yànpíng; ウェード式; Tung Yen-p'ing、1896年(清光緒22年) - 1976年(民国81年)11月5日)は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。旧名は芝芳。字は佩青。内モンゴルホルチン右翼前旗(現在の吉林省洮南市)の人。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1986年生まれの人  東京都出身の1986年生まれの人 | ||
284 | 盛世才 | Wikipedia |
盛 世才(せい せいさい)は中華民国の新疆地区の政治家・軍人である。1933年から1944年にかけて新疆を事実上の独立国のように統治した。その独裁的な治世から、「新疆王」とも呼ばれた。字は晋庸。 | ||
1933年生まれの人   | ||
285 | 久保登喜夫 東京都 出身 | Wikipedia |
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1921年生まれの人  東京都出身の1921年生まれの人 | ||
286 | 高杉晋 | Wikipedia |
ネ・ウィン(ビルマ語: နေဝင်း, ラテン文字転写: Ne Win、1911年5月14日 - 2002年12月5日)は、ビルマ(現在のミャンマー)の軍人、政治家。本名はシュ・マウン。独立運動の功労者であり、独立後、軍参謀総長、革命評議会議長、大統領、ビルマ社会主義計画党 (BSPP) 議長を務めたが独裁者として非難された。日本名は高杉晋。 | ||
5月14日生まれの人  1911年生まれの人   | ||
287 | 三原朝雄 福岡県 出身 | Wikipedia |
三原 朝雄(みはら あさお、1909年(明治42年)8月20日 - 2001年(平成13年)3月7日)は日本の政治家。元衆議院議員。文部大臣、防衛庁長官、総理府総務長官を歴任。勲一等旭日大綬章(1986年)。北九州市議会議員の三原征彦は長男、衆議院議員の三原朝彦は次男にあたる。陸軍軍人の山縣初男は岳父である。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1909年生まれの人  福岡県出身の1909年生まれの人 | ||
288 | 滕傑 | Wikipedia |
滕 傑(とう けつ、繁体字:滕杰、簡体字:滕傑、ピン音:Téng Jié、ウェード式:T'eng Chie、1906年1月25日(清光緒32年正月初1日) - 2004年(民国93年))は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。号は俊夫。江蘇省淮安府阜寧県の人。 | ||
1月25日生まれの人  1906年生まれの人   | ||
289 | 久野工 東京都 出身 | Wikipedia |
久野 工(ひさの たくみ、1874年(明治7年)11月10日注釈 - 1960年(昭和35年)6月3日注釈 2)は、大日本帝国海軍軍人、実業家、政治家。最終階級は海軍主計中将。神奈川県横須賀市長。位階勲等は正四位勲二等。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
11月10日生まれの人  1874年生まれの人  東京都出身の1874年生まれの人 |
290 | 原六郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 昭和8年(1933年)11月14日)は日本の幕末から大正期の志士、軍人、銀行家、実業家。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
11月9日生まれの人  1842年生まれの人  兵庫県出身の1842年生まれの人 | ||
291 | 鄧祖禹 東京都 出身 | Wikipedia |
鄧 祖禹(とう そう)は中華民国の政治家・軍人。孫文(孫中山)派の南方政府、国民政府に属する。後に中華民国維新政府や汪兆銘の汪兆銘政権(南京国民政府)に参加した。字は鑄久、滌清。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
292 | 呉鉄城 | Wikipedia |
呉 鉄城(ご てつじょう)は中華民国の政治家・軍人。中国同盟会以来の革命派人士で、後に中国国民党、国民政府でも要職をつとめた。一般に国民党右派とみなされる。祖籍は広東省広州府香山県。 |
横浜国立大学
293 | タノン・ビダヤ 神奈川県 出身 | Wikipedia |
タノン・ビダヤ(タノン・ピタヤ、ทนง พิทยะ、1947年7月28日 - )は、タイ王国の政治家、経営学博士。財務大臣や、商務大臣、タイ国際航空会長、タイ軍人銀行頭取、アサンプション大学経営大学院院長などを歴任した。旭日大綬章受章。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
7月28日生まれの人  1947年生まれの人  神奈川県出身の1947年生まれの人 | ||
294 | 来栖良 | Wikipedia |
来栖 良(くるす りょう、1919年1月8日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍技術少佐。 | ||
暁星高等学校出身 全国の暁星高等学校の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1919年生まれの人   |
陸軍士官学校
295 | 石井卓雄 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 1950年5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにベトナム独立戦争に参加して戦没。グエン・ソン将軍の軍政顧問。クァンガイ軍政学校教官。トゥイホア陸軍中学教官。ベトナム独立戦争時には、「花谷」「チャン・チ・ズン(陳志勇)」「トン」を名乗った。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
大阪府立今宮高等学校出身 全国の大阪府立今宮高等学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1919年生まれの人  広島県出身の1919年生まれの人 | ||
296 | 尾崎中和 | Wikipedia |
尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍の軍人。死後、二階級特進し陸軍中佐。殉職の項目も参照。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1919年生まれの人   | ||
297 | 西尾常三郎 東京都 出身 | Wikipedia |
西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7月2日 - 昭和19年(1944年)11月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍少佐だったが特別攻撃隊に志願、富嶽隊隊長として特攻、戦死。二階級特進により大佐となる。正七位、勲三等、功二級。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月2日生まれの人  1916年生まれの人  東京都出身の1916年生まれの人 | ||
298 | 三笠宮崇仁親王 | Wikipedia |
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
12月2日生まれの人  1915年生まれの人   | ||
299 | 後勝 広島県 三原市 出身 | Wikipedia |
後 勝(うしろ まさる、1914年 - )は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の広島県出身者 全国の三原市出身者 | ||
広島県立忠海高等学校出身 全国の広島県立忠海高等学校の出身者 | ||
1914年生まれの人  広島県出身の1914年生まれの人 |
300 | 西住小次郎 熊本県 出身 | Wikipedia |
西住 小次郎(にしずみ こじろう、1914年〈大正3年〉1月13日 - 1938年〈昭和13年〉5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
熊本県立御船高等学校出身 全国の熊本県立御船高等学校の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1914年生まれの人  熊本県出身の1914年生まれの人 | ||
301 | 堀栄三 奈良県 五條市 出身 | Wikipedia |
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年(大正2年)10月16日 - 1995年(平成7年)6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 | ||
全国の奈良県出身者 全国の五條市出身者 | ||
愛知県立明和高等学校出身 全国の愛知県立明和高等学校の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1913年生まれの人  奈良県出身の1913年生まれの人 | ||
302 | 井川省 茨城県 出身 | Wikipedia |
井川 省(いがわ せい、1913年4月14日 - 1946年)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにインドシナ戦争に参加して戦没。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1913年生まれの人  茨城県出身の1913年生まれの人 | ||
303 | 緒方景俊 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1913年生まれの人  鹿児島県出身の1913年生まれの人 | ||
304 | 井田正孝 岐阜県 出身 | Wikipedia |
井田 正孝(いだ まさたか、1912年10月5日 - 2004年2月6日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中佐。後に旧姓・岩田に復した。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
岐阜県立大垣北高等学校出身 全国の岐阜県立大垣北高等学校の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1912年生まれの人  岐阜県出身の1912年生まれの人 | ||
305 | 島田豊作 群馬県 館林市 出身 | Wikipedia |
島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本の陸軍軍人。士候45期。最終階級は陸軍中佐。群馬県館林市出身。 | ||
全国の群馬県出身者 全国の館林市出身者 | ||
群馬県立館林高等学校出身 全国の群馬県立館林高等学校の出身者 | ||
3月31日生まれの人  1912年生まれの人  群馬県出身の1912年生まれの人 | ||
306 | 畑中健二 京都府 出身 | Wikipedia |
畑中 健二(はたなか けんじ、1912年3月28日(明治45年) - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
京都府立園部高等学校出身 全国の京都府立園部高等学校の出身者 | ||
3月28日生まれの人  1912年生まれの人  京都府出身の1912年生まれの人 | ||
307 | 瀬島龍三 富山県 小矢部市 出身 | Wikipedia |
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 | ||
全国の富山県出身者 全国の小矢部市出身者 | ||
富山県立砺波高等学校出身 全国の富山県立砺波高等学校の出身者 | ||
12月9日生まれの人  1911年生まれの人  富山県出身の1911年生まれの人 | ||
308 | 小岩井光夫 長野県 出身 | Wikipedia |
小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月22日 - 1959年(昭和34年)2月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1910年生まれの人  長野県出身の1910年生まれの人 | ||
309 | 竹田恒徳 | Wikipedia |
竹田 恒徳(たけだ つねよし、1909年(明治42年)3月4日 - 1992年(平成4年)5月11日)は、日本の旧皇族(竹田宮第2代)、陸軍軍人。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、竹田恒徳と名乗る。皇籍離脱前は竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)。陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王、昭和天皇の従弟にあたる。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1909年生まれの人   |
310 | 浦茂 石川県 金沢市 出身 | Wikipedia |
浦 茂(うら しげる、1909年2月11日 - 2001年11月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、実業家である。航空自衛隊では第5代航空幕僚長を務めた。最終階級は中佐(旧陸軍)、航空幕僚長たる空将(空自)。 | ||
全国の石川県出身者 全国の金沢市出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1909年生まれの人  石川県出身の1909年生まれの人 | ||
311 | 栗原安秀 島根県 松江市 出身 | Wikipedia |
栗原 安秀(くりはら やすひで、明治41年(1908年)11月17日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。最終階級は陸軍歩兵中尉。 | ||
全国の島根県出身者 全国の松江市出身者 | ||
東海大学付属浦安高等学校出身 全国の東海大学付属浦安高等学校の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1908年生まれの人  島根県出身の1908年生まれの人 | ||
312 | 中橋基明 佐賀県 出身 | Wikipedia |
中橋 基明(なかはし もとあき、明治40年(1907年)9月25日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
東海大学付属浦安高等学校出身 全国の東海大学付属浦安高等学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1907年生まれの人  佐賀県出身の1907年生まれの人 | ||
313 | 草地貞吾 大分県 宇佐市 出身 | Wikipedia |
草地 貞吾(くさち ていご、1904年5月28日 - 2001年11月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の大分県出身者 全国の宇佐市出身者 | ||
大分県立宇佐高等学校出身 全国の大分県立宇佐高等学校の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1904年生まれの人  大分県出身の1904年生まれの人 | ||
314 | 親泊朝省 沖縄県 出身 | Wikipedia |
親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。 | ||
全国の沖縄県出身者 | ||
沖縄県立首里高等学校出身 全国の沖縄県立首里高等学校の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1903年生まれの人  沖縄県出身の1903年生まれの人 | ||
315 | 野中四郎 | Wikipedia |
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1903年生まれの人   | ||
316 | 村中孝次 北海道 旭川市 出身 | Wikipedia |
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。 | ||
全国の北海道出身者 全国の旭川市出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1903年生まれの人  北海道出身の1903年生まれの人 | ||
317 | 荒尾興功 高知県 出身 | Wikipedia |
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年3月18日 - 1974年8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
神奈川県立横須賀高等学校出身 全国の神奈川県立横須賀高等学校の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1902年生まれの人  高知県出身の1902年生まれの人 | ||
318 | 西竹一 | Wikipedia |
西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1902年生まれの人   | ||
319 | 永井八津次 茨城県 出身 | Wikipedia |
永井 八津次(ながい やつじ、1901年(明治34年)1月20日 - 1970年(昭和45年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1901年生まれの人  茨城県出身の1901年生まれの人 |
320 | 赤松貞雄 秋田県 出身 | Wikipedia |
赤松 貞雄(あかまつ さだお、明治33年(1900年)5月21日 - 昭和57年(1982年)8月16日)は、日本の陸軍軍人。東條英機大将の、陸相秘書官・首相秘書官として知られる。階級は陸軍大佐。小松崎力雄陸軍少将は兄。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1900年生まれの人  秋田県出身の1900年生まれの人 | ||
321 | 田中弥 東京都 出身 | Wikipedia |
田中 弥(たなか わたる、1900年10月13日 - 1936年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
長野県上田高等学校出身 全国の長野県上田高等学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1900年生まれの人  東京都出身の1900年生まれの人 | ||
322 | 松村知勝 福井県 出身 | Wikipedia |
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1899年生まれの人  福井県出身の1899年生まれの人 | ||
323 | 水谷一生 三重県 出身 | Wikipedia |
水谷 一生(みずたに かずお、1899年(明治32年)4月22日 - 1949年(昭和24年)11月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
三重県立四日市高等学校出身 全国の三重県立四日市高等学校の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1899年生まれの人  三重県出身の1899年生まれの人 | ||
324 | 小原重孝 北海道 出身 | Wikipedia |
小原 重孝(おばら しげたか、1899年10月24日 - 1971年7月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。小原 重厚と表記する文献も有る。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
10月24日生まれの人  1899年生まれの人  北海道出身の1899年生まれの人 | ||
325 | 藤田雄蔵 神奈川県 出身 | Wikipedia |
藤田 雄蔵(ふじた ゆうぞう、1898年(明治31年)2月19日 - 1939年(昭和14年)2月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。 | ||
全国の神奈川県出身者 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校出身 全国の神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者 | ||
2月19日生まれの人  1898年生まれの人  神奈川県出身の1898年生まれの人 | ||
326 | 今井武夫 長野県 長野市 出身 | Wikipedia |
今井 武夫(いまい たけお、1898年2月23日 - 1982年6月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の長野市出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1898年生まれの人  長野県出身の1898年生まれの人 | ||
327 | 有末次 北海道 出身 | Wikipedia |
有末 次(ありすえ やどる、1897年2月7日 - 1943年8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
2月7日生まれの人  1897年生まれの人  北海道出身の1897年生まれの人 | ||
328 | 真田穣一郎 北海道 美唄市 出身 | Wikipedia |
真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1957年(昭和32年)8月3日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の北海道出身者 全国の美唄市出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
11月21日生まれの人  1897年生まれの人  北海道出身の1897年生まれの人 | ||
329 | 小畑信良 大阪府 出身 | Wikipedia |
小畑 信良(おばた のぶよし、1897年(明治30年)3月29日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兄に小畑英良。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
大阪府立茨木高等学校出身 全国の大阪府立茨木高等学校の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1897年生まれの人  大阪府出身の1897年生まれの人 |
330 | 小野寺信 岩手県 出身 | Wikipedia |
小野寺 信(おのでら まこと、1897年9月19日 - 1987年8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
岩手県立遠野高等学校出身 全国の岩手県立遠野高等学校の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1897年生まれの人  岩手県出身の1897年生まれの人 | ||
331 | 四方諒二 兵庫県 神戸市 出身 | Wikipedia |
四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年)4月28日 - 昭和52年(1977年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の神戸市出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1896年生まれの人  兵庫県出身の1896年生まれの人 | ||
332 | 工藤良一 北海道 出身 | Wikipedia |
工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - 1959年1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1896年生まれの人  北海道出身の1896年生まれの人 | ||
333 | 土居明夫 高知県 出身 | Wikipedia |
土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
6月30日生まれの人  1896年生まれの人  高知県出身の1896年生まれの人 | ||
334 | 有末精三 北海道 出身 | Wikipedia |
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1895年生まれの人  北海道出身の1895年生まれの人 | ||
335 | 額田坦 岡山県 出身 | Wikipedia |
額田 坦(ぬかた ひろし、1895年9月5日 - 1976年9月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
9月5日生まれの人  1895年生まれの人  岡山県出身の1895年生まれの人 | ||
336 | 谷萩那華雄 茨城県 出身 | Wikipedia |
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立水戸第一高等学校出身 全国の茨城県立水戸第一高等学校の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1895年生まれの人  茨城県出身の1895年生まれの人 | ||
337 | 長嶺喜一 新潟県 上越市 出身 | Wikipedia |
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の上越市出身者 | ||
新潟県立有恒高等学校出身 全国の新潟県立有恒高等学校の出身者 | ||
6月2日生まれの人  1895年生まれの人  新潟県出身の1895年生まれの人 | ||
338 | 宮崎周一 長野県 飯田市 出身 | Wikipedia |
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 | ||
全国の長野県出身者 全国の飯田市出身者 | ||
愛知県立時習館高等学校出身 全国の愛知県立時習館高等学校の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1895年生まれの人  長野県出身の1895年生まれの人 | ||
339 | 山本健児 高知県 出身 | Wikipedia |
山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1895年生まれの人  高知県出身の1895年生まれの人 |
340 | 佐藤賢了 石川県 出身 | Wikipedia |
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1895年生まれの人  石川県出身の1895年生まれの人 | ||
341 | 花谷正 岡山県 津山市 出身 | Wikipedia |
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 全国の津山市出身者 | ||
岡山県立津山高等学校出身 全国の岡山県立津山高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1894年生まれの人  岡山県出身の1894年生まれの人 | ||
342 | 諫山春樹 福岡県 出身 | Wikipedia |
諫山 春樹(いさやま はるき、1894年2月11日 - 1990年6月12日)は、日本の陸軍軍人。福岡県出身。陸軍中将。第17代台湾軍参謀長、その後第10方面軍参謀長。1945年10月25日、国民政府代表との降服式典に台湾総督安藤利吉とともに台湾総督府(日本)代表として出席し、任を終える。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立明善高等学校出身 全国の福岡県立明善高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1894年生まれの人  福岡県出身の1894年生まれの人 | ||
343 | 大須賀応 北海道 札幌市 出身 | Wikipedia |
大須賀 応(おおすが ことを、1894年1月25日 - 1945年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 全国の札幌市出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1894年生まれの人  北海道出身の1894年生まれの人 | ||
344 | 中永太郎 北海道 中永太郎 出身 | Wikipedia |
中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の北海道出身者 全国の中永太郎出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
9月17日生まれの人  1893年生まれの人  北海道出身の1893年生まれの人 | ||
345 | 柳田元三 長野県 塩尻市 出身 | Wikipedia |
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 1952年10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の塩尻市出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1893年生まれの人  長野県出身の1893年生まれの人 | ||
346 | 牧野四郎 鹿児島県 日置市 出身 | Wikipedia |
牧野 四郎(まきの しろう、1893年4月18日 - 1945年8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の日置市出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1893年生まれの人  鹿児島県出身の1893年生まれの人 | ||
347 | 久野村桃代 高知県 出身 | Wikipedia |
久野村 桃代(くのむら とうだい、1893年12月22日 - 1979年11月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1893年生まれの人  高知県出身の1893年生まれの人 | ||
348 | 田中隆吉 島根県 安来市 出身 | Wikipedia |
田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の島根県出身者 全国の安来市出身者 | ||
島根県立松江北高等学校出身 全国の島根県立松江北高等学校の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1893年生まれの人  島根県出身の1893年生まれの人 | ||
349 | 三浦三郎 東京都 出身 | Wikipedia |
三浦 三郎(みうら さぶろう、1893年3月26日 - 1974年10月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。関東憲兵隊司令官。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1893年生まれの人  東京都出身の1893年生まれの人 |
350 | 村田孝生 東京都 出身 | Wikipedia |
村田 孝生(むらた たかお/たかいき、1893年10月6日 - 1953年4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月6日生まれの人  1893年生まれの人  東京都出身の1893年生まれの人 | ||
351 | 影佐禎昭 広島県 福山市 出身 | Wikipedia |
影佐 禎昭(かげさ さだあき、明治26年(1893年)3月7日 - 昭和23年(1948年)9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の広島県出身者 全国の福山市出身者 | ||
大阪府立市岡高等学校出身 全国の大阪府立市岡高等学校の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1893年生まれの人  広島県出身の1893年生まれの人 | ||
352 | 堀内一雄 山梨県 出身 | Wikipedia |
堀内 一雄(ほりうち かずお、1893年9月 - 1985年12月11日)は、日本の実業家、政治家、陸軍軍人。衆議院議員(5期)。父は堀内良平、息子は堀内光雄。最終階級は歩兵少佐、満州国陸軍少将。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
山梨県立甲府第一高等学校出身 全国の山梨県立甲府第一高等学校の出身者 | ||
1893年生まれの人  山梨県出身の1893年生まれの人 | ||
353 | 本郷義夫 東京都 出身 | Wikipedia |
本郷 義夫(ほんごう よしお、1892年3月20日 - 1962年6月28日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 | ||
354 | 田坂専一 愛媛県 出身 | Wikipedia |
田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 1979年12月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
愛媛県立西条高等学校出身 全国の愛媛県立西条高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1892年生まれの人  愛媛県出身の1892年生まれの人 | ||
355 | 東宮鉄男 群馬県 出身 | Wikipedia |
東宮 鉄男(とうみや かねお、正字は東宮鐵男、1892年(明治24年)8月17日 - 1937年(昭和12年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。「満蒙開拓移民の父」とよばれる。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1892年生まれの人  群馬県出身の1892年生まれの人 | ||
356 | 磯田三郎 群馬県 出身 | Wikipedia |
磯田 三郎(いそだ さぶろう、1892年2月28日 - 1979年10月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
日本学園高等学校出身 全国の日本学園高等学校の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1892年生まれの人  群馬県出身の1892年生まれの人 | ||
357 | 細見惟雄 長野県 松本市 出身 | Wikipedia |
細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日 - 1963年(昭和38年)8月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士25期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の松本市出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1892年生まれの人  長野県出身の1892年生まれの人 | ||
358 | 那須弓雄 | Wikipedia |
那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1892年生まれの人   | ||
359 | 千田貞季 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 1945年3月8日)は、大日本帝国陸軍の軍人。栄典は従四位勲二等功四級。士候26期。栗林忠道大将とは同期。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1892年生まれの人  鹿児島県出身の1892年生まれの人 |
360 | 酒井康 東京都 出身 | Wikipedia |
酒井 康(さかい やすし、1892年3月11日 - 1986年8月1日)は、日本の陸軍軍人。第17師団長・留守第56師団長・陸軍兵器本部企画部長等を歴任し、階級は陸軍中将勲一等に至る。東京府出身。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 | ||
361 | 宮崎繁三郎 岐阜県 岐阜市 出身 | Wikipedia |
宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岐阜県出身者 全国の岐阜市出身者 | ||
岐阜県立岐阜高等学校出身 全国の岐阜県立岐阜高等学校の出身者 | ||
1月4日生まれの人  1892年生まれの人  岐阜県出身の1892年生まれの人 | ||
362 | 片桐茂 香川県 出身 | Wikipedia |
片桐 茂(かたぎり しげる、1892年(明治25年)3月18日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1892年生まれの人  香川県出身の1892年生まれの人 | ||
363 | 高品彪 千葉県 出身 | Wikipedia |
高品 彪(たかしな たけし、1891年1月25日 - 1944年7月28日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期、陸大34期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
千葉県立成東高等学校出身 全国の千葉県立成東高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1891年生まれの人  千葉県出身の1891年生まれの人 | ||
364 | 甘粕正彦 | Wikipedia |
甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年(明治24年)1月26日 - 1945年(昭和20年)8月20日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に甘粕事件を起こしたことで有名(無政府主義者大杉栄らの殺害)。短期の服役後、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工作を行い、満州国建設に一役買う。満洲映画協会理事長を務め、終戦直後、服毒自殺した。 | ||
三重県立津高等学校出身 全国の三重県立津高等学校の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1891年生まれの人   | ||
365 | 山崎保代 山梨県 出身 | Wikipedia |
山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
10月17日生まれの人  1891年生まれの人  山梨県出身の1891年生まれの人 | ||
366 | 山内正文 滋賀県 出身 | Wikipedia |
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年10月8日 - 1944年8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・秋山。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
滋賀県立膳所高等学校出身 全国の滋賀県立膳所高等学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1891年生まれの人  滋賀県出身の1891年生まれの人 | ||
367 | 栗林忠道 長野県 長野市 出身 | Wikipedia |
栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年〈明治24年〉7月7日 ‐ 1945年〈昭和20年〉3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。 | ||
全国の長野県出身者 全国の長野市出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1891年生まれの人  長野県出身の1891年生まれの人 | ||
368 | 田中信男 東京都 出身 | Wikipedia |
田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月30日 - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月30日生まれの人  1891年生まれの人  東京都出身の1891年生まれの人 | ||
369 | 須藤栄之助 東京都 出身 | Wikipedia |
須藤 栄之助(すどう えいのすけ、1891年9月24日 - 1969年1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1891年生まれの人  東京都出身の1891年生まれの人 |
370 | 尾崎義春 北海道 旭川市 出身 | Wikipedia |
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年4月20日 - 1973年9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 | ||
全国の北海道出身者 全国の旭川市出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1890年生まれの人  北海道出身の1890年生まれの人 | ||
371 | 立花芳夫 愛媛県 出身 | Wikipedia |
立花 芳夫(たちばな よしお、1890年(明治23年)2月24日 - 1947年(昭和22年)9月24日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。愛媛県出身。陸軍士官学校卒業(25期)。兵科は歩兵科。功四級。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
金光学園高等学校出身 全国の金光学園高等学校の出身者 | ||
2月24日生まれの人  1890年生まれの人  愛媛県出身の1890年生まれの人 | ||
372 | 横山静雄 福岡県 出身 | Wikipedia |
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立伝習館高等学校出身 全国の福岡県立伝習館高等学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1890年生まれの人  福岡県出身の1890年生まれの人 | ||
373 | 岡田資 鳥取県 出身 | Wikipedia |
岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の鳥取県出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1890年生まれの人  鳥取県出身の1890年生まれの人 | ||
374 | 豊嶋房太郎 山口県 出身 | Wikipedia |
豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年1月5日 - 1979年4月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
山口県立防府高等学校出身 全国の山口県立防府高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1889年生まれの人  山口県出身の1889年生まれの人 | ||
375 | 相沢三郎 宮城県 仙台市 出身 | Wikipedia |
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年(明治22年)9月6日 - 1936年(昭和11年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。皇道派に属した相沢は、真崎甚三郎教育総監更迭に憤激し1935年8月12日に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した(相沢事件)。 | ||
全国の宮城県出身者 全国の仙台市出身者 | ||
岩手県立一関第一高等学校出身 全国の岩手県立一関第一高等学校の出身者 | ||
9月6日生まれの人  1889年生まれの人  宮城県出身の1889年生まれの人 | ||
376 | 板花義一 長野県 安曇野市 出身 | Wikipedia |
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年1月29日 - 1961年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の安曇野市出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
377 | 桜井省三 愛知県 名古屋市 出身 | Wikipedia |
桜井 省三(さくらい しょうぞう、1889年6月27日 - 1985年7月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の名古屋市出身者 | ||
愛知県立時習館高等学校出身 全国の愛知県立時習館高等学校の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1889年生まれの人  愛知県出身の1889年生まれの人 | ||
378 | 北野憲造 滋賀県 出身 | Wikipedia |
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
滋賀県立彦根東高等学校出身 全国の滋賀県立彦根東高等学校の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1889年生まれの人  滋賀県出身の1889年生まれの人 | ||
379 | 丸山政男 長野県 出身 | Wikipedia |
丸山 政男(まるやま まさお、1889年9月13日 - 1957年11月11日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 |
380 | 瀬谷啓 栃木県 出身 | Wikipedia |
瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 - 昭和29年(1954年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1889年生まれの人  栃木県出身の1889年生まれの人 | ||
381 | 笠原幸雄 | Wikipedia |
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1889年生まれの人   | ||
382 | 小松輝久 | Wikipedia |
小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1888年生まれの人   | ||
383 | 飯沼守 愛知県 出身 | Wikipedia |
飯沼 守(いいぬま まもる、1888年11月25日 - 1978年3月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立明和高等学校出身 全国の愛知県立明和高等学校の出身者 | ||
11月25日生まれの人  1888年生まれの人  愛知県出身の1888年生まれの人 | ||
384 | 儀我誠也 東京都 出身 | Wikipedia |
儀我 誠也(ぎが せいや、1888年11月11日 - 1938年1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
兵庫県立洲本高等学校出身 全国の兵庫県立洲本高等学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1888年生まれの人  東京都出身の1888年生まれの人 | ||
385 | 渡辺正夫 大阪府 出身 | Wikipedia |
渡辺 正夫(わたなべ まさお、1888年10月10日 - 1950年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
愛媛県立今治西高等学校出身 全国の愛媛県立今治西高等学校の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1888年生まれの人  大阪府出身の1888年生まれの人 | ||
386 | 樋口季一郎 兵庫県 南あわじ市 出身 | Wikipedia |
樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の南あわじ市出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1888年生まれの人  兵庫県出身の1888年生まれの人 | ||
387 | 水上源蔵 山梨県 出身 | Wikipedia |
水上 源蔵(みなかみ / みずかみ げんぞう、1888年(明治21年)9月26日 - 1944年(昭和19年)8月4日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
山梨県立日川高等学校出身 全国の山梨県立日川高等学校の出身者 | ||
9月26日生まれの人  1888年生まれの人  山梨県出身の1888年生まれの人 | ||
388 | 麦倉俊三郎 栃木県 出身 | Wikipedia |
麦倉 俊三郎(むぎくら しゅんざぶろう、1888年(明治21年)11月1日 - 1969年(昭和44年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
栃木県立宇都宮高等学校出身 全国の栃木県立宇都宮高等学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1888年生まれの人  栃木県出身の1888年生まれの人 | ||
389 | 安江仙弘 秋田県 出身 | Wikipedia |
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年1月12日 - 1950年8月14日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の秋田県出身者 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1888年生まれの人  秋田県出身の1888年生まれの人 |
390 | 鈴木貞一 千葉県 芝山町 出身 | Wikipedia |
鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月16日 - 1989年(平成元年)7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の芝山町出身者 | ||
東洋大学京北高等学校出身 全国の東洋大学京北高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1888年生まれの人  千葉県出身の1888年生まれの人 | ||
391 | 原田熊吉 大阪府 出身 | Wikipedia |
原田 熊吉(はらだ くまきち、1888年8月8日 - 1947年5月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県生まれ、大阪府出身。陸士22期、陸大28期。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
香川県立丸亀高等学校出身 全国の香川県立丸亀高等学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1888年生まれの人  大阪府出身の1888年生まれの人 | ||
392 | 朝香宮鳩彦王 | Wikipedia |
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で、朝香宮初代当主。1947年(昭和22年)10月14日に皇族の身分を離れ、朝香鳩彦と名乗る。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
10月20日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
393 | 東久邇宮稔彦王 | Wikipedia |
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の皇族(旧皇族)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
394 | 松井太久郎 福岡県 出身 | Wikipedia |
松井 太久郎(まつい たくろう、1887年12月3日 - 1969年6月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士22期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1887年生まれの人  福岡県出身の1887年生まれの人 | ||
395 | 吉本貞一 徳島県 出身 | Wikipedia |
吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1945年9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の徳島県出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
3月23日生まれの人  1887年生まれの人  徳島県出身の1887年生まれの人 | ||
396 | 酒井隆 広島県 東広島市 出身 | Wikipedia |
酒井 隆(さかい たかし、1887年10月18日 - 1946年9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争勃発時に第23軍司令官として香港を攻略した。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 東広島市出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1887年生まれの人  広島県出身の1887年生まれの人 | ||
397 | 黒田重徳 福岡県 出身 | Wikipedia |
黒田 重徳(くろだ しげのり、1887年10月25日 - 1964年4月30日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
福岡県立伝習館高等学校出身 全国の福岡県立伝習館高等学校の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1887年生まれの人  福岡県出身の1887年生まれの人 | ||
398 | 阿南惟幾 | Wikipedia |
阿南 惟幾(あなみ これちか)は、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
徳島県立城南高等学校出身 全国の徳島県立城南高等学校の出身者 | ||
2月21日生まれの人  1887年生まれの人   | ||
399 | 沢田茂 高知県 高知市 出身 | Wikipedia |
沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日 - 1980年(昭和55年)12月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 全国の高知市出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1887年生まれの人  高知県出身の1887年生まれの人 |
400 | 本間雅晴 新潟県 佐渡市 出身 | Wikipedia |
本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の佐渡市出身者 | ||
新潟県立佐渡高等学校出身 全国の新潟県立佐渡高等学校の出身者 | ||
11月27日生まれの人  1887年生まれの人  新潟県出身の1887年生まれの人 | ||
401 | 田中静壱 兵庫県 出身 | Wikipedia |
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1887年生まれの人  兵庫県出身の1887年生まれの人 | ||
402 | 沼田徳重 茨城県 出身 | Wikipedia |
沼田 徳重(ぬまた とくしげ、1887年(明治20年)7月17日 - 1939年(昭和14年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将正四位勲一等功二級。茨城県出身。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立太田第一高等学校出身 全国の茨城県立太田第一高等学校の出身者 | ||
7月17日生まれの人  1887年生まれの人  茨城県出身の1887年生まれの人 | ||
403 | 矢野機 千葉県 出身 | Wikipedia |
矢野 機(やの はかる、1887年3月27日 - 1992年2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
3月27日生まれの人  1887年生まれの人  千葉県出身の1887年生まれの人 | ||
404 | 平林盛人 長野県 安曇野市 出身 | Wikipedia |
平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - 1969年5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の長野県出身者 全国の安曇野市出身者 | ||
長野県大町岳陽高等学校出身 全国の長野県大町岳陽高等学校の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1887年生まれの人  長野県出身の1887年生まれの人 | ||
405 | 牛島満 鹿児島県 鹿児島市 出身 | Wikipedia |
牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将(中将から、戦死により即日大将に親任される)。鹿児島県鹿児島市出身。 | ||
全国の鹿児島県出身者 全国の鹿児島市出身者 | ||
鹿児島県立鶴丸高等学校出身 全国の鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1887年生まれの人  鹿児島県出身の1887年生まれの人 | ||
406 | 下村定 高知県 出身 | Wikipedia |
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1887年生まれの人  高知県出身の1887年生まれの人 | ||
407 | 徳川圀順 | Wikipedia |
徳川 圀順(とくがわ くにゆき、1886年(明治19年)12月13日 - 1969年(昭和44年)11月17日)は、日本の華族、政治家、陸軍軍人。水戸徳川家第13代当主。貴族院議長、日本赤十字社社長を務める。階級は陸軍歩兵少尉、爵位は侯爵、のち公爵。徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させる。字は子行、号は涛山、諡号は明公。 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
12月13日生まれの人  1886年生まれの人   | ||
408 | 磯谷廉介 兵庫県 出身 | Wikipedia |
磯谷 廉介(いそがい れんすけ、1886年9月3日 - 1967年6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争期に日本占領下の香港で総督を務めた。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1886年生まれの人  兵庫県出身の1886年生まれの人 | ||
409 | 塚田攻 茨城県 出身 | Wikipedia |
塚田 攻(つかだ おさむ、1886年7月14日 - 1942年12月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1886年生まれの人  茨城県出身の1886年生まれの人 |
410 | 長崎守一 | Wikipedia |
長崎 守一(ながさき もりいち、1886年(明治19年)9月12日 - 1968年(昭和43年)6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。士候21期。阿部平輔陸軍中将、冨永信政陸軍大将、石原莞爾陸軍中将とは同期。栄典は従四位勲二等功四級。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1886年生まれの人   | ||
411 | 板垣征四郎 岩手県 岩手町 出身 | Wikipedia |
板垣 征四郎(いたがき せいしろう、1885年(明治18年)1月21日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位・勲一等・功二級。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の岩手町出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1885年生まれの人  岩手県出身の1885年生まれの人 | ||
412 | 斎藤弥平太 香川県 三豊市 出身 | Wikipedia |
斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9月28日 - 没年不詳(1953年(昭和28年)9月28日、戦時死亡宣告))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の香川県出身者 全国の三豊市出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1885年生まれの人  香川県出身の1885年生まれの人 | ||
413 | 渡久雄 東京都 出身 | Wikipedia |
渡 久雄(わたり ひさお、1885年(明治18年)10月7日 - 1939年(昭和14年)1月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 | ||
414 | 酒井鎬次 愛知県 出身 | Wikipedia |
酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4日 - 昭和48年(1973年)3月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。鎬次を「たかつぐ」と読む文献もあり、注意を要する。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
愛知県立岡崎高等学校出身 全国の愛知県立岡崎高等学校の出身者 | ||
11月4日生まれの人  1885年生まれの人  愛知県出身の1885年生まれの人 | ||
415 | 藤江恵輔 兵庫県 出身 | Wikipedia |
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立龍野高等学校出身 全国の兵庫県立龍野高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1885年生まれの人  兵庫県出身の1885年生まれの人 | ||
416 | 安井藤治 富山県 出身 | Wikipedia |
安井 藤治(やすい とうじ、1885年10月11日 - 1970年7月8日)は、明治-昭和の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。 | ||
全国の富山県出身者 | ||
富山県立富山高等学校出身 全国の富山県立富山高等学校の出身者 | ||
10月11日生まれの人  1885年生まれの人  富山県出身の1885年生まれの人 | ||
417 | 山下奉文 高知県 大豊町 出身 | Wikipedia |
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身。 | ||
全国の高知県出身者 全国の大豊町出身者 | ||
高知県立高知小津高等学校出身 全国の高知県立高知小津高等学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1885年生まれの人  高知県出身の1885年生まれの人 | ||
418 | 東條英機 | Wikipedia |
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
7月30日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
419 | 永持源次 東京都 出身 | Wikipedia |
永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 1978年8月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍砲工学校長。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1884年生まれの人  東京都出身の1884年生まれの人 |
420 | 徳川好敏 | Wikipedia |
徳川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1884年生まれの人   | ||
421 | 河本大作 兵庫県 佐用町 出身 | Wikipedia |
河本 大作(こうもと だいさく、1883年(明治16年)1月24日 - 1955年(昭和30年)8月25日)は、昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の佐用町出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1883年生まれの人  兵庫県出身の1883年生まれの人 | ||
422 | 蓮沼蕃 石川県 出身 | Wikipedia |
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1883年生まれの人  石川県出身の1883年生まれの人 | ||
423 | 宇佐美興屋 東京都 出身 | Wikipedia |
宇佐美 興屋(うさみ おきいえ、1883年1月27日 - 1970年9月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1883年生まれの人  東京都出身の1883年生まれの人 | ||
424 | 谷寿夫 岡山県 出身 | Wikipedia |
谷 寿夫(たに ひさお、1882年(明治15年)12月23日 - 1947年(昭和22年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1882年生まれの人  岡山県出身の1882年生まれの人 | ||
425 | 竹田宮恒久王 | Wikipedia |
竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年(明治15年)9月22日 - 1919年(大正8年)4月23日)は日本の皇族・陸軍軍人。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
9月22日生まれの人  1882年生まれの人   | ||
426 | 伊藤精司 新潟県 出身 | Wikipedia |
伊藤 精司(いとう せいじ、1882年(明治15年)3月1日 - 1964年(昭和39年)6月22日)は、日本陸軍の軍人。階級は陸軍少将。武道の称号は大日本武徳会銃剣術範士、剣道教士。流派は直心影流。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
新潟県立新潟高等学校出身 全国の新潟県立新潟高等学校の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1882年生まれの人  新潟県出身の1882年生まれの人 | ||
427 | 角田政之助 群馬県 出身 | Wikipedia |
角田 政之助(つのだ まさのすけ、1882年(明治15年)10月18日 - 1974年(昭和49年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
群馬県立沼田高等学校出身 全国の群馬県立沼田高等学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1882年生まれの人  群馬県出身の1882年生まれの人 | ||
428 | 山岡重厚 東京都 出身 | Wikipedia |
山岡 重厚(やまおか しげあつ、1882年(明治15年 )11月17日 - 1954年(昭和29年 )3月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1882年生まれの人  東京都出身の1882年生まれの人 | ||
429 | 西尾寿造 鳥取県 鳥取市 出身 | Wikipedia |
西尾 寿造(にしお としぞう、明治14年(1881年)10月31日 − 昭和35年(1960年)10月26日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功一級。初代支那派遣軍総司令官。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の鳥取市出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1881年生まれの人  鳥取県出身の1881年生まれの人 |
430 | 山田乙三 長野県 出身 | Wikipedia |
山田 乙三(やまだ おとぞう、1881年(明治14年)11月6日 - 1965年(昭和40年)7月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1881年生まれの人  長野県出身の1881年生まれの人 | ||
431 | 乃木保典 | Wikipedia |
乃木 保典(のぎ やすすけ、1881年(明治14年)12月16日 - 1904年(明治37年)11月30日)は、明治期の日本の陸軍軍人で陸軍大将・乃木希典、静子夫妻の次男。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1881年生まれの人   | ||
432 | 渋谷伊之彦 高知県 出身 | Wikipedia |
渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - 1935年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11月14日生まれの人  1881年生まれの人  高知県出身の1881年生まれの人 | ||
433 | 中村孝太郎 | Wikipedia |
中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年8月28日‐1947年8月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。林内閣の陸軍大臣。石川県出身。 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校出身 全国の石川県立金沢泉丘高等学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1881年生まれの人   | ||
434 | 建川美次 | Wikipedia |
建川 美次(たてかわ よしつぐ、1880年(明治13年)10月3日 - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の陸軍軍人、外交官。最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等功四級。 | ||
新潟県立新潟高等学校出身 全国の新潟県立新潟高等学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1880年生まれの人   | ||
435 | 小磯國昭 山形県 宇都宮市 出身 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
全国の山形県出身者 全国の宇都宮市出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1880年生まれの人  山形県出身の1880年生まれの人 | ||
436 | 立見豊丸 | Wikipedia |
立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月28日 – 1942年(昭和17年)11月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。貴族院子爵議員。陸軍政務次官。 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1880年生まれの人   | ||
437 | 杉山元 | Wikipedia |
杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。 | ||
福岡県立育徳館高等学校出身 全国の福岡県立育徳館高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1880年生まれの人   | ||
438 | 安藤紀三郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年2月11日 - 1954年5月10日)は、日本の政治家、陸軍軍人。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1879年生まれの人  兵庫県出身の1879年生まれの人 | ||
439 | 斎藤瀏 長野県 出身 | Wikipedia |
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1879年生まれの人  長野県出身の1879年生まれの人 |
440 | 寺内寿一 山口県 出身 | Wikipedia |
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1879年生まれの人  山口県出身の1879年生まれの人 | ||
441 | 瀬川章友 山形県 新庄市 出身 | Wikipedia |
瀬川 章友(せがわ のりとも、1879年(明治12年)3月6日 - 1938年(昭和13年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山形県出身者 全国の新庄市出身者 | ||
山形県立山形東高等学校出身 全国の山形県立山形東高等学校の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1879年生まれの人  山形県出身の1879年生まれの人 | ||
442 | 畑俊六 福島県 出身 | Wikipedia |
畑 俊六(はた しゅんろく、1879年(明治12年)7月26日 - 1962年(昭和37年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1879年生まれの人  福島県出身の1879年生まれの人 | ||
443 | 松井石根 | Wikipedia |
松井 石根(まつい いわね、明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。荒尾精の信奉者として、「日中提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけたが、ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(B級戦犯)を受け、処刑された。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1878年生まれの人   | ||
444 | 厚東篤太郎 | Wikipedia |
厚東 篤太郎(こうとう とくたろう、1878年7月22日 - 1958年9月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1878年生まれの人   | ||
445 | 西義一 福島県 出身 | Wikipedia |
西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 - 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
栃木県立宇都宮高等学校出身 全国の栃木県立宇都宮高等学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1878年生まれの人  福島県出身の1878年生まれの人 | ||
446 | 荒木貞夫 東京都 出身 | Wikipedia |
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
日本学園高等学校出身 全国の日本学園高等学校の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1877年生まれの人  東京都出身の1877年生まれの人 | ||
447 | 林仙之 熊本県 出身 | Wikipedia |
林 仙之(はやし なりゆき、1877年1月5日 - 1944年5月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1877年生まれの人  熊本県出身の1877年生まれの人 | ||
448 | 本城嘉守 | Wikipedia |
本城 嘉守(ほんじょう よしもり、1877年(明治10年) - 1960年(昭和35年))は、日本の陸軍軍人、政治家。初代徳山市長(現・周南市)。父に本城宣馬。徳山七士の一人本城清は祖父にあたる。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1877年生まれの人   | ||
449 | 武川寿輔 福島県 福良村 出身 | Wikipedia |
武川 壽輔(むがわ じゅすけ、1877年(明治10年)11月15日 - 1939年(昭和14年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、教育者。最終階級は陸軍少将、兵庫県立赤穂中学校(現:兵庫県立赤穂高等学校)の初代校長。 | ||
全国の福島県出身者 全国の福良村出身者 | ||
福島県立安積高等学校出身 全国の福島県立安積高等学校の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1877年生まれの人  福島県出身の1877年生まれの人 |
450 | 本庄繁 兵庫県 出身 | Wikipedia |
本庄 繁(ほんじょう しげる、1876年(明治9年)5月10日 - 1945年(昭和20年)11月20日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長・関東軍司令官・侍従武官長を歴任し階級は陸軍大将正三位勲一等功一級男爵に至る。軍を退いてからは軍事保護院総裁や枢密顧問官を務める。長男一雄は陸軍主計中佐。娘は山口一太郎陸軍大尉に嫁ぐ。本庄は書を心得、剣華と号す。渾名は「たくわん石」。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1876年生まれの人  兵庫県出身の1876年生まれの人 | ||
451 | 松木直亮 山口県 出身 | Wikipedia |
松木 直亮(まつき なおすけ、1876年11月5日 - 1940年5月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1876年生まれの人  山口県出身の1876年生まれの人 | ||
452 | 木原清 東京都 出身 | Wikipedia |
木原 清(きはら きよし、1876年(明治9年)4月25日 - 1940年(昭和15年)9月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
4月25日生まれの人  1876年生まれの人  東京都出身の1876年生まれの人 | ||
453 | 赤井春海 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
6月12日生まれの人  1876年生まれの人  千葉県出身の1876年生まれの人 | ||
454 | 緒方勝一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
緒方 勝一(おがた しょういち、1875年1月25日 - 1960年12月28日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1875年生まれの人  佐賀県出身の1875年生まれの人 | ||
455 | 福田彦助 山口県 出身 | Wikipedia |
福田 彦助(ふくだ ひこすけ、1875年11月5日 - 1959年7月30日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1875年生まれの人  山口県出身の1875年生まれの人 | ||
456 | 石井常造 福島県 出身 | Wikipedia |
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1875年生まれの人  福島県出身の1875年生まれの人 | ||
457 | 梨本宮守正王 | Wikipedia |
梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年(明治7年)3月9日 - 1951年(昭和26年)1月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。大韓帝国最後の皇太子である李王垠の岳父。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1874年生まれの人   | ||
458 | 南次郎 大分県 豊後高田市 出身 | Wikipedia |
南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。 | ||
全国の大分県出身者 全国の豊後高田市出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1874年生まれの人  大分県出身の1874年生まれの人 | ||
459 | 久邇宮邦彦王 | Wikipedia |
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1873年生まれの人   |
460 | 金谷範三 大分県 豊後高田市 出身 | Wikipedia |
金谷 範三(かなや はんぞう、1873年4月24日 - 1933年6月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の大分県出身者 全国の豊後高田市出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1873年生まれの人  大分県出身の1873年生まれの人 | ||
461 | 磯村年 滋賀県 出身 | Wikipedia |
磯村 年(いそむら とし、明治5年9月(1872年10月頃) - 1961年(昭和36年)9月12日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の滋賀県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
1872年生まれの人  滋賀県出身の1872年生まれの人 | ||
462 | 菱刈隆 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
菱刈 隆(ひしかり たか、1871年12月27日(明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍の軍人、外交官。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功五級。幼名、幸吉。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
12月27日生まれの人  1871年生まれの人  鹿児島県出身の1871年生まれの人 | ||
463 | 安満欽一 佐賀県 出身 | Wikipedia |
安満 欽一(やすみつ きんいち、1871年4月2日(明治4年2月13日) - 1960年10月24日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
4月2日生まれの人  1871年生まれの人  佐賀県出身の1871年生まれの人 | ||
464 | 千田嘉平 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
千田 嘉平(せんだ かへい、1871年10月12日(明治4年8月28日)- 1943年(昭和18年)2月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将、貴族院男爵議員。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1871年生まれの人  鹿児島県出身の1871年生まれの人 | ||
465 | 国司伍七 山口県 出身 | Wikipedia |
国司 伍七(くにし ごしち、1870年6月24日(明治3年5月26日) - 1939年10月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
6月24日生まれの人  1870年生まれの人  山口県出身の1870年生まれの人 | ||
466 | 鈴木孝雄 千葉県 出身 | Wikipedia |
鈴木 孝雄(すずき たかお、明治2年10月29日(1869年12月2日) - 1964年(昭和39年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功三級。砲兵監・第14師団長・陸軍技術本部長・軍事参議官を歴任。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
10月29日生まれの人  1869年生まれの人  千葉県出身の1869年生まれの人 | ||
467 | 宇垣一成 岡山県 出身 | Wikipedia |
宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
6月21日生まれの人  1868年生まれの人  岡山県出身の1868年生まれの人 | ||
468 | 福田雅太郎 | Wikipedia |
福田 雅太郎(ふくだ まさたろう、1866年7月7日(慶応2年5月25日) - 1932年6月1日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧9期、陸大9期。栄典は従三位勲一等功三級、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)[要出典]。最終階級は陸軍大将。 | ||
長崎県立大村高等学校出身 全国の長崎県立大村高等学校の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1866年生まれの人   | ||
469 | 藤井包総 広島県 出身 | Wikipedia |
藤井 包總(ふじい かねすけ、1850年2月25日(嘉永3年1月14日) - 1925年(大正14年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院男爵議員。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立福山誠之館高等学校出身 全国の広島県立福山誠之館高等学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1850年生まれの人  広島県出身の1850年生まれの人 |
470 | 大築尚志 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保6年11月5日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
12月24日生まれの人  1835年生まれの人  千葉県出身の1835年生まれの人 | ||
471 | 吉見精 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
吉見 精(よしみ せい、生年不明 - 1901年1月)は、日本の陸軍軍人。旧大日本帝国陸軍鉄道大隊の初代大隊長。旧佐倉藩士。千葉県出身。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
千葉県立佐倉高等学校出身 全国の千葉県立佐倉高等学校の出身者 | ||
472 | 蔡鍔 | Wikipedia |
蔡 鍔(さい がく)は、清末民初の軍人。中華民国の初代雲南都督。袁世凱による帝制実施を阻止するため、護国戦争を発動したことでも知られる。原名は艮寅、字は松坡。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
473 | 許崇智 | Wikipedia |
許 崇智(きょ すうち)は清末民初の軍人・政治家。主に初期の中国国民党における有力な軍指揮官であった。字は汝為。祖父と父は福建省で通判をつとめ、一族の許応騤は、清末の閩浙総督である。親族には、堂兄(父方の従兄)で軍人・政治家の許崇灝、堂弟(父方の従弟)で国立中山大学校長などをつとめた教育者の許崇清などがいる。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
474 | 藍天蔚 | Wikipedia |
藍 天蔚(らん てんい)は清末民初の軍人。北洋系に属し、同時に革命派の士官として知られる。字は秀豪。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
475 | 盧金山 | Wikipedia |
盧 金山(ろ きんざん)は清末民初の軍人。北洋系の軍人で、後に北京政府、直隷派に属した。字は貢庭。 | ||
成城高等学校出身 全国の成城高等学校の出身者 | ||
476 | 阿南惟晟 | Wikipedia |
阿南 惟晟(あなみ これあきら)は日本の軍人。太平洋戦争末期の陸軍大臣・阿南惟幾の次男。1941年東京府立第一中学校を卒業した後に[要出典]陸軍士官学校に入学。同校の56期卒業生。 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
陸軍中野学校
477 | 小渕岩太郎 群馬県 出身 | Wikipedia |
小渕岩太郎(おぶち いわたろう)は、日本の軍人・実業家・政治運動家。元光山社代表取締役会長、日本工業大学後援会会長。群馬県吾妻郡中之条町出身。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
群馬県立渋川高等学校出身 全国の群馬県立渋川高等学校の出身者 |
立教大学
478 | 姜太武 東京都 出身 | Wikipedia |
姜 太武(カン・テム、강태무、1925年-2007年6月17日)は朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1925年生まれの人  東京都出身の1925年生まれの人 |
立命館大学
479 | 加藤昇 京都府 出身 | Wikipedia |
加藤 昇(かとう のぼる、1922年(大正11年)9月 - )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。(※正式な表記は加藤 曻) | ||
全国の京都府出身者 | ||
1922年生まれの人  京都府出身の1922年生まれの人 |
480 | 愛新覚羅溥傑 | Wikipedia |
愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ、1907年4月16日 - 1994年2月28日)は、清および満州国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟。清朝における地位は醇親王継嗣、満州国軍人としての階級は陸軍中校(中佐に相当)。中華人民共和国では全人代常務委員会委員。立命館大学名誉法学博士。書家でもあり、流水の如き独特の書体は流麗で人気が高かった。 | ||
4月16日生まれの人  1907年生まれの人   |
早稲田大学
481 | 渡邊睦裕 東京都 出身 | Wikipedia |
渡邊 睦裕(わたなべ むつひろ、1918年1月18日 - 2003年4月1日)は、大日本帝国陸軍の軍人。近衛歩兵第一連隊所属。最終階級は軍曹、ポツダム曹長。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
1月18日生まれの人  1918年生まれの人  東京都出身の1918年生まれの人 | ||
482 | 森茂喜 石川県 出身 | Wikipedia |
森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年11月19日)は、日本の政治家、元軍人(陸軍中佐)。元根上村長の森喜平は父。第85・86代内閣総理大臣の森喜朗は長男。 | ||
全国の石川県出身者 | ||
3月27日生まれの人  1910年生まれの人  石川県出身の1910年生まれの人 | ||
483 | 稲嶺一郎 | Wikipedia |
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。 | ||
沖縄県立那覇高等学校出身 全国の沖縄県立那覇高等学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1905年生まれの人   | ||
484 | カンジュルジャブ | Wikipedia |
カンジュルジャブ(漢字:甘珠爾扎布、1903年 - 1968年?)は、モンゴル族出身の満州国軍の軍人である。満州事変の際に内蒙古自治軍を組織し、満州国建国後は興安軍の中心的人物となった。一時期、川島芳子と結婚していたことがある。最終階級は陸軍中将。カナ表記はカンジュルジャップとも。 | ||
1903年生まれの人   | ||
485 | 中原謹司 長野県 竜江村 出身 | Wikipedia |
中原 謹司(なかはら きんじ、1889年2月7日 - 1951年3月1日)は日本の政治家。長野県の在郷軍人有志で結成された政治結社信州郷軍同志会の理論的指導者であり、大政翼賛会では中央協力会議部副部長として新体制運動を担った。号は起雲子。 | ||
全国の長野県出身者 全国の竜江村出身者 | ||
長野県飯田高等学校出身 全国の長野県飯田高等学校の出身者 | ||
2月7日生まれの人  1889年生まれの人  長野県出身の1889年生まれの人 | ||
486 | 乾正士 高知県 出身 | Wikipedia |
乾 正士(いぬい せいし、慶応4年3月25日(1868年4月17日) - 昭和16年(1941年)6月18日)は、日本の軍人。土佐藩士・板垣退助の庶長子。母は萩原復斎の娘、龠(やく)[1]。退助の嫡男子・板垣鉾太郎より2ヶ月早く出生したが、庶長子のため二男として育てられる。士族。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
3月25日生まれの人  1868年生まれの人  高知県出身の1868年生まれの人 |